| 2004年12月12日(日) |
ポット出法の授業と弁論大会�� |
▼ポット出法の授業と弁論大会 「さあいいか、今日皆に書いて貰った作文の中で参考になるのを一つ紹介しよう。これから読んでみるからよく聞いておくように」と言われて、新進気鋭の久保田修先生が一つの作文を声を上げて読み始められた。 『日は暮れてくるし、あたりには人影さえも見えない。坂を下ってきたところで自転車のチェーンが切れてしまったのである。・・』 先生の声を聞いて勇はびっくりした。なんとそれは制限時間がきたため、尻切れとんぼで自信のないままに提出した勇の作文なのである。
課題は「私の或る日曜日」というものであった。勇は最初何を書いてよいか分からず、思い悩んだあげく制限時間近くなってやっと一つの事件を思いだした。昨年秋の或る日曜日に一山越え、五里程離れた母の実家の祖父の許へ自転車に乗って柿を貰いに行ったときのことをである。荷台の竹籠に柿を一杯積んで貰って家路を急いでいるとき人家の無い山中で自転車が壊れて立ち往生してしまった。その時の名状し難い心細い気持ちを書こうと思ったのだが、意をつくせぬ儘に時間がきてしまって纏まりのつかないものを提出せざるを得ないという羽目に陥ってしまった。勇が何を書くか思い悩んで呻吟しているとき周囲の級友達は既に書き終えていたからその時の勇の焦燥感は今思い出しても年を経て蘇ってくるのである。
昭和26年勇が岡山県の早島中学へ新入生として入学して間もなく、初めての社会科の時間の時のことであった。 出来の悪い例として教材に取り上げられてしまったと勇は覚悟したものである。作文は小学校の頃から苦手で時間ばかりかかっていつも叱られていたからである。
ところが意外なことに先生はこう言われたのである。 「君達はポット出法というのを知っているかな。知っている人は手を上げて」 「・・・・・・・・・」 「なるほど誰も知らないようだね。この作文はポット出法を使って上手く書かれている。『日は暮れてくるし、あたりには人影さえも見えない。坂を下ってきたところで自転車のチェーンが切れてしまったのである』と言われると君達聞いていてさあ次はどうなるのだろうと思うだろう。こういう風にいきなりポット事件を持ち出してくる書き方を先生はポット出法と呼んでいるのだ。他の人達の作文は君たちが日曜日に朝起きて寝るまでに何をしたかを真面目にかいてある。朝、起きました。歯を磨いて顔を洗いました。朝御飯を食べました。便所にいきました。友達のところへ遊びにいきました等々。だがこれでは当たり前のことで読んでいて面白くない。しかしこの作文は次はどうなるのだろうという興味と期待を読む人に与えるだろう。こういう書き方をしなければならない。文章を作るには起承転結ということを考えて書かなければ良い文章は書けない。今日は『起』の良い例として『ポット出法』のことを話したが次回は『承』について君たちの作文から例を引いて説明することにしよう」 勇は面目を施した上にこのことがあって以来文章を書くということが好きになったし楽しくなったのである。
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