前潟都窪の日記

2004年11月13日(土) 引き揚げ��

 成人のいる家族は、リュックサックに一杯荷物をいれて背負い、両手にも荷物を持っていたから、旅行中の食料も豊富であった。しかしながら、マラリヤ熱から解放されたばかりで、体の衰弱していた勇は、自分のリュックサック一つを背負い、妹幸子の手を引くのが精一杯であった。次の妹の京子はやっとよちよち歩きが始まったばかりであったから、母が背負ったリュックサックの上に跨がせて肩車をしているような恰好で道中を続けたのである。従って、食料品もふんだんに持つことは出来ず、干し飯も国境線にたどりつくまでに無くなっていた。

 行進中に朝鮮人の集団に襲われ、目の前でリュックサックを強奪された家族が二、三あったが、誰もどうすることも出来ないで、口惜しく惨めな思いをしたものである。

 野宿をしながらただ黙々と国境線まで、隊列から離れないようにとそれだけを念じながら歩いた七日間であった。

 国境近くに来た時は警戒も厳しくなり、夜陰に乗じてこれを突破することになった。昼間山中で仮眠し、暗くなってから腰までつかる浅瀬の川をじゃぶじゃぶ歩いて渡った。このとき勇は母親と妹からはぐれてしまったが、隊列から離れないでついて行けば、家族にはまた会えると必死で衰弱した体で足を滑らせながら浅瀬を渡った。

 このあと、続けて38度線の国境を渡った。この時も勇一人で母達の所在は不明であった。国境警備兵が威嚇射撃をしたため、その銃声は国境突破の一行に悲壮感を与えるのに効果充分であった。


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