前潟都窪の日記

2004年10月21日(木) コッポとニイナン、母のこと��

 この他にも勇が鎮南浦時代の母親を偲ぶとき必ず思い出す情景が三つある。

 その一は、四才か五才の時の出来事である。冬、母親の恵子と町へ出て買い物も終わり、近道をするつもりだったのか、池の畔に張られた鉄条網の破れ目をくぐり抜けようとした。誰とはなしに、そこを通るものだから網の目の破れ目の所に自然と道ができていた。妹の幸子をおんぶして勇の手を引いていた母親が、足を滑らせて重心を失い転びそうになったので、本能的に鉄条網を片手に掴んで、体を支えたのである。転倒は免れたものの手の掌は鉄条網の棘で傷つき出血した。幼な心に母親の受傷出血を目撃し、衝撃を受けたのであろうか、長じてからも血を見る度にこの時の母親の手掌を染めた鮮血を思い出すのである。

 その二は、小高い丘の上の社宅は冬になると、下水道が凍結し、排水がオーバーフローしてうまく流れなくなることがある。そんな時、母は近所で遊んでいる朝鮮人の若い男の子達を集め、なにがしかの駄賃を与えて、つるはしとスコップで氷を割らせていた。少年とはいえ、母より背丈の高い男達に指図して作業させる母親の姿を勇は畏敬の目で見ていたことを思い出す。

 その三は、冬になると気管支の弱かった勇は風邪をひくとよく咳をした。そんな時母は逃げ回る勇を執拗に追い回し、必ず蒸気吸入をさせた。首に涎かけをつけてガラス製の器具からアルコールランプで熱せられて発生する水蒸気を管の先から口の中へ吸い込むのである。最近ではこの蒸気吸入器をみかけなくなったが昔懐かしい情景である。 


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