前潟都窪の日記

2004年10月20日(水) コッポとニイナン、母のこと��

▼コッポとニイナン、母のこと

 日の出社宅にいた頃父がヨチヨチ歩きの妹「ニイナン」と兄の「コッポ」を連れて池へとんぼ釣りに連れていってくれたことがある。捕ったトンボの羽を指にはさんでおくことを教えて貰ったが、妹は預けられたトンボをムシャムシャ食べてしまうということがあった。

 勇は愛称「コッポ」と呼ばれていた。「コップ」という発音が出来ず「コッポ」と言ったのがいつしか愛称になったものである。これに対して妹の幸子は、「ニイナン」と呼ばれていた。「ニイチャン」が言えなくて「ニイナン」になってしまうところから名付けられた愛称である。勇と妹は何時も一緒に行動しており、「コッポ」と「ニイナン」は近所でも話題になるほど仲の良い兄妹で通っていた。

 日の出社宅は小高い丘の上にあり、丘を下りた所にアカシア並木の大通りがあった。この大通りへは社宅から坂道で通じていた。勇が近所の餓鬼大将達と遊んでいるとき、子供であれば皆一度は経験したことがあるように、坂道を通らないでわざと坂の斜面の植え込みの間を縫うようにして登ったり、下りたりして遊んでいた。

 ある日この植え込みの斜面で追っ掛けごっこをしていた時、木の枝に顔を突っ込んで目に枝が当たった。餓鬼大将の注進で飛んできた母親に連れられて街の眼科医へ駆け込んだが、幸い目に傷はついておらず目蓋に少し傷ができた程度で失明は免れた。この時も母親は勇を生まれもつかぬ盲にしてしまったかと大層心配した。眼科医は鎮南浦の街中にしかなかったので、母親は勇を背負って三十分ばかりの道程を我を忘れて走ったのである。現在であれば電話は何処にでもあるし、救急車の出動を要請するのも簡単であるが、当時は身近に電話があるわけでもないし、増してや流しのタクシーがあるわけでもない。患者を背負って医者へ走るしか術がなかったのである。


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