この蘆溝橋事件は日中戦争の発端となったのであるが不可解な事件であると思う。最初に発砲したのは誰かの真相は未だに藪の中である。
学研の現代新百科事典によれば以下のように解説されている。「1937年北京西南郊外の蘆溝橋付近で、日本の中国駐軍と中国軍との間に起こった武力衝突事件。日中戦争の発端となった。7月7日夜、日本軍が夜間演習中に原因不明の数発の実弾が飛んできた。点呼の結果、兵一人が行方不明(実際は用便中で、すぐあとで発見された。)となっていたため日本軍はこれを理由に大隊主力を出動させて中国軍を攻撃した。11日現地では停戦協定が締結されたが同日東京では、政府が三個師団の動員を決定、派兵を声明した。政府・陸軍中央部は不拡大方針を宣伝しつつも、陸軍部内の強硬派は暗躍を続け28日から現地軍は北京・天津一帯で全面的に軍事行動を開始した」
この解説は比較的客観的に史実を叙述しているが、中には自虐史観に禍されて故意に軍部の侵略意志を強調するものもある。当時の時代背景の中で 日本の置かれた立場も考慮に入れて事件を解釈しなければならないと思う。
当時の原史料に基づきこの蘆溝橋事件を検証しているサイトを見つけたので参考までにリンクを張っておくこととする。
蘆溝橋事件
幸子が生まれた昭和15年という年は、中国では3月に日本軍が支援して王兆銘の傀儡政権を南京に誕生させ、欧州ではナチスのヒットラーが、4月に中立国のノルウェーとデンマークを電撃作戦で侵略し、5月に西部戦線の攻撃を始めて大勝利をおさめていた。そして九月には日・独・伊の三国同盟を締結し、時代は第二次世界大戦へと突入していきつつあった。
妹の幸子が生まれた頃は小高い丘の上にある日の出社宅に住んでいた。勇は妹が生まれてからは母親に遊んで貰える機会が少なくなったので、社宅の幼児達と一緒に遊ぶことが多くなったが行動の場は自宅を中心とした短い半径の円周内がその領域であった。
その領域内にある一軒の社宅に乳が張って困るという初産で産後の婦人がいた。自分の嬰児だけでは消化しきれないほど乳がでたのである。母が懇意にしていた人なので、妹が生まれたのを機会に勇に乳を吸いだしに毎日通ってくれないかという話があった。張った乳房は手で揉んで出すよりも幼児に吸って貰って出すほうが、体によいということから、勇がその光栄の候補者になったのであるが、その役を引き受けるのが気恥ずかしくて嫌だと逃げまわっていた。が、真のところは母親の愛情を自分が独占していたのに、妹に奪われてしまったことに対するやっかみから母親を困らせることによって愛情を取り戻そうとするささやかな抵抗であった。
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