| 2004年07月27日(火) |
【ルネッサンスの美術を鑑賞して廻る・・イタリア��j】 |
ミラノ、ベネツィア、ラベンナ 2001.11.14〜2001.11.22 ミラノでは最初にスカラ広場へ行った。以前にも来たことがあるので目に馴染みのある光景が広がっている。スカラ座とマリノ宮、エマニュエル・アーケード、市庁舎が広場を囲んで建っていて、広場の中央にはレオナルド・ダビンチ像が建っている。
オペラ歌手の世界の檜舞台であるスカラ座

はベローナからきたスカラ家がサンタ・マリア・デッラ・スカラ教会を先ず建てその跡地に建てられたものである。1778年に開場し数多くのオペラの名作が上演されたことで知られている。
エマニュエル・アーケード

は建築家ジュゼッピ・マンコーリによって建てられたドーム型の天井を中央に持つアーケードで文化人のサロンにすることが目的であった。 天井中央部の絵画の装飾が素晴らしい。今ではこのアーケードには商人が入って店舗を開いているがカフェも多く昔のサロンの名残をとどめている。
ミラノの大聖堂

は通称ドーモと呼ばれ1386年にシャンガリアッチ領主の命によって建設が開始され、およそ500 年かけて完成されたゴチック様式の教会である。総大理石作りで建物自体目を見張る程の豪華さであるが、とりわけ有名なのはキリストが磔り付けにされた時に使われたという釘が天井に吊るされていることである。釘を管理するためのゴンドラまでが特別に作られて吊るされていた。聖なる釘の日として9月14日には儀式が行われる。ゴチック様式では世界で第三番目の大きさを誇り四万人が収容できるという。面積は111,700m2である。フランスのナボレオン一世は1805年にここで戴冠式を行った。
ミラノ市の人口は137万人でイタリア第二の大都市であり経済の中心地である。 昼食にエマニュエル・アーケード近くのレストランに入り、貝入りのスバゲッティーを注文して食べたが勘定に時間がかかって集合時間に遅れてしまった。しかも初めてイタリアの通貨を使用したので桁を間違えて56,000リラのところを五万リラ札一枚と一万リラ札6枚で計11万リラ支払ってしまうというチョンボを犯してしまった。時間に追われていたので札の数字を落ちついて確かめなかったのが災いした。このことに気がついたのは、後刻別の店でミネラルウオーターを買おうと思い財布を取り出しその中身が意外に少ないのを不審に思った時であった。会計係がいかにも嬉しそうな顔と手振りで「アリガトウ」を連発していた意味がやっと飲み込めた。チップをはずんでくれたと彼は理解したのである。
ヴェネチア

は118 の島を連ねて,その上に建設された市街地で,運河が縦横にはしり160の運河、400 の橋、ゴンドラ等で知られる水の都である。中世にはオリエントとの貿易で栄えジェノバとともに地中海貿易の重要な拠点であった。
最初にアカデミア美術館を訪問した。この美術館は1500年代にヴェネチアの信仰団体の集会場として建てられたものが美術館として転用され保存されたものである。
ベネチァの豪商達が贅を凝らして営んだ集会場だけにその建物内部に使用されている建築素材や金を多用した装飾の豪華さには目を見張るばかりである。
この美術館にはベネチア派の作品が数多く展示されており、その特徴は華麗な色彩と豪華な官能美にあふれていることである。この派の確立者はベリーニ一族である。ベリーニの後ジョルジョーネ、ティティアーノ、バルマ・ベッキョ、ティントレット、ベロネーズらが輩出して15〜16世紀に黄金期を迎えるのである。
ジョルジョーネ作「火の試練」

ルネッサンスの三大画家と言われるティティアーノ、ティントレット、ベロネーズの作品をはじめ、ロレンツォ・ロット、ベルナルド・ロッチ、ピェコロ、カルバッチョ等の名作の実物を間近に鑑賞することができ至福の一時を過ごすことができた。
アカデミア美術館に名残惜しみながらベネチアグラスの工房を訪問した。職人が長い棒の先に付けた高温のガラス素地を吹いて膨らませ、ぐるぐる回転させながら器用な手つきで容器の形に作り上げていく工程はとても面白い光景であった。赤色のベネチアグラスが最も高級品で材料の産出が少ないので海外への輸出はされていないというのは初耳であった。赤色の発色に金が使われているらしい。
監獄へ通じる橋を「溜め息橋」というが、ガラス工房の入り口から眺めることができた。
この町には自動車や自転車が一台も走っていないし、その姿すら見かけない光景が珍しいと思った。通路も狭く運河を船で往来するか歩くしか交通手段のない町であり自動車出現以前の町の雰囲気を体験するにはうってつけの町である。
サン・マルコ広場はさまざまな国からの観光客で混み合っていた。同時多発テロ以降観光客の数が激減したということであるが(筆者が訪問したのはテロ一ケ半後)、それにもかかわらず多くの観光客で賑わっていた。流石に世界一流の観光地である。
ここで目についたのが広場のそこかしこに高さ50cm位のところに畳一枚程の大きさの板が通路状に張りめぐらされていて、広場には水溜まりが出来ていることであった。満潮時には常時このような状態になり、大潮の時には40〜50cmにも水嵩が上がり広場全体が水浸しになるのである。2日前には最大2mも上がったという。
近代化の過程でベネチア近郊の工業地帯で地下水を汲み上げ過ぎたため地盤沈下が起こったことと近年の地球温暖化の影響で海水の水面が高くなってきているせいだと考えられている。近い将来ベネチアの市街地は水没してなくなってしまう運命にあるようである。
サン・マルコ寺院

の内部まで床上浸水に晒されていて足場板が設けられていたのは痛々しい限りであった。広場に溜まった水が侵入してくるのではなくて、寺院内部の床下から敷石の隙間を縫って浸水してくるということだから地盤沈下の激しさが窺われる。
このあとゴンドラに乗って市内を運河側から観察した。これはいわば町や建物の裏側を観察することであり、台所とおぼしき窓や物置部屋らしい壁面等が続いている。そして一階部分の部屋は使われていないものが多い。壁面の塗装ははげ落ち補修もされないまま放置されている建物が多い。窓に板を打ちつけて建物の過半が空き家になっていると想定されるアパート等も散見された。浸水が進んで住民が逃げ出している様子が窺われる。 ガイドに聞いた話であるがベネチアの町の住人の三大高所得階級は「あさり貝取 り」「ゴンドラの船頭」「ガラス職人」であるというから現在のベニスの町の特徴をよく語っていて面白いとおもった。 昼食後長駆バスでラベンナの町へ向かった。
ラベンナの町は六世紀頃形成されたこじんまりとした町である。ここではビザンチン様式のサン・ビターレ寺院

を見学した。集中式と言われる建築様式に特徴があり、ステンドグラスが窓に使われるようになるまで多用されたという「太陽光を透過するアラバスター」の板が窓にはめ込まれていた。そこから射し込んでくる微かな淡い明かりと暗い教会内部に集まってきて敬虔な祈りを捧げる信徒の群れを想像したとき中世の信仰生活の様子が偲ばれて感慨一入であった。
この町で神曲を書いたダンテの墓廟

が残されている一角があった。町自体静かな佇まいで旧いものが大切に残されて現代人の生活とよく調和している町であり、三ケ月位住んでみたい町であると思った。この後、夕なずむ道をバスでフレンツェへ向かった。
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