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もずりんの日記
もずりん
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2008年11月07日(金)

久々のパソコンからの日記です。

何から話したらいいんだろう?

私の状態は最悪です。原因は自立できてないからなんです。

けいちゃんの遺影はずっと壁に飾ってあります。もう布に包んで隠すことはなくなりました。そして、今日久々にけいちゃんの事故から他界するまでの日記を読み返してみました。あの時、私は必死だった。とにかく少しでもけいちゃんのぬくもりを感じてたくて、そして少しでもわずかな望みにかけて必死に頑張ってきた。これ以上辛いことなんかもうないって思ってけいちゃんのお葬式を終えました。なのに、今、私はまた苦しんでるんです。娘が念願のヘルパーの仕事に就いたのに、今は、すっかり自信をなくしてる娘の姿。やっとなんとか救急車のサイレンに強くなれたのに、今度は、人の命の大切さにびくついてるんです。自分がいくら頑張っても、予期せぬお年寄りさんの状態。ちょっとでも気を抜いたらそれだけで、お年寄りさんにけがを負わせてしまう、ある意味過酷な仕事。それでも、けいちゃんが、そして昨年亡くなった祖父の痴ほう症からの他界。それを経験したからこそ、絶対立派な介護の仕事をしようと頑張ってきた娘が、今はすっかり自信をなくして、その娘をみて、それでも頑張れって言ってしまう私がいるんです。
その一方では、一人でいる時間がめちゃくちゃ不安で怖い私がいるんです。
自分の時間を楽しめる自分がいないんです。来月からは主人も宿直や日直、交代勤務にもはいる可能性があるのに、自立できない私が居るんです。

年明けには、お墓を立てて、来年の七回忌には納骨して、仏壇のけいちゃんのお骨箱がなくなってしまうんです。

闘病時代、もう絶対なにがあっても怖くない。何がおきても大丈夫。これ以上辛いことなんて起きることはないって思ってたのに、普通の家庭では当たり前、いや、普通の大人なら一人でいることが平気なのに、それを平気でいることができない私がいるんです。結局は弱い、昔の私がいるんです。
あれだけ辛くて、今でも、闘病生活を振り返って読んでも、自然に涙が溢れてくるほど辛い出来事なのに、それに比べたら、全然大丈夫なはずなのに、
今の私は、昔のまんまの弱い私がいるんです。さびしがり屋の甘えん坊のとっても弱い私。けいちゃんがこの世に生まれてきてくれたのは、私を変えるはずだったと思うけど、でも、私はなんも変わってないんです。心配性で、子離れできてなくて、甘えん坊で、自立できない私がいるんです。だから、辛いんです。いや、けいちゃんの闘病生活よりは比べ物にならないほど、辛くないはずなのに。あと数年弱で50を迎えようとしてる大人なのに。まるで中学や小学生の子供のまま大人になってしまったような私がいるんです。

どうしたらいいんでしょうね?答えは解っています。自分で強くなることなんです。答えも問題も解ってるのに、解き方がわからない私です。