嗚呼!米国駐在員。
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2004年06月22日(火) 忘れられない旅行、ナイアガラの滝へ

土日は両親を連れてナイアガラの滝へ。
朝の便でNYのバッファローまで飛んでそこからレンタカーで1時間弱のドライブ。
そして、ここを訪れた誰もが目にするシェラトンにチェックイン。滝が見える部屋と見えない部屋で60ドルくらい差があったけども、せっかくなので滝側の部屋を取った。ホテルの予約は色々調べたけども、インターネットよりも何よりもJTBが一番安かった。やはり仕入れ力の差か。こちらとしても、安心感があるので迷わずJTBで予約をした。料金も税込みだし、ガイドマップもつけてくれて丁寧な対応。日本では当たり前の対応がとても心地よかった。

定番の「霧の乙女号」とやらで滝付近まで行った後は、これ以上滝を見ててもしょうがないので、もう夕食まですることがない。部屋に戻っても時差ボケピークの両親は寝てしまうだけ、と行って歩き回るのもつかれる。どうしようかと思って、ホテル横のカジノに行ったが、夕方というのに人でうじゃうじゃ。結局みんな行動パターンは同じようなものなのか。

ナイアガラの滝そのものの迫力は、さすがに世界有数の滝というだけあって一度は見ておいてもいいかもしれないと思った。
ただ、完全に観光地化されており、日本や台湾、ヨーロッパのツアー客も多い。何度も行ってもしょうがないような気がした。リピーターは、ちょっと離れた所でホテルを取るようだが、それで十分かもしれないな。

カジノでは当然のように負けたが、適度な時間つぶしが出来た。夜は迷わず日本食屋へ。両親というより、自分の希望でというのが、情けないというか何というか。上寿司が実に結構。中でもサーモンは、トロ身が食感もよくて最高であった。接客してくれた留学生らしき女の子の対応も良い。
店では日本の農協らしきツアーが来ており、店の一角で30人ばかりのオジサンオバサンが定食らしきものを食べさせられていた。ビール、酒は自腹らしく、世話役らしい人間が、いちいち大声で、「ビールいる人〜?」とか叫んで手を上げさせている。帽子をかぶったまま我がもの顔で酒をあおる集団。そして酒代の精算だろうか、テーブルの上にカネを出し合って、カナダドルだとどうの日本円だとどうので大声でやりあうのも見苦しい。最後は世話役の、「皆さーん、バスが出ますよ〜!!」の一言で、一向はそそくさと店を後にした。
静かになった所で店を出ると、何のことはない、交代で似たような団体が大型バスでやってきた。店も大変だろうけど、やっぱり日本からのツアー団体客はいいお客なんだろうか。

翌日午前は、川沿いのナイアガラパークウェイを北上。天気も良く見晴らしもよい。途中で、植物園やゴルフコース、ワイン園などに立ち寄る。レンタカーならではの寄り道。ところが、滝付近に戻ると、アメリカ側に向かう車の大渋滞で車が全く動かない。予定していた大橋巨泉のOKギフト立ち寄りを取りやめて、入国手続きの列に車を進めるが、国境のレインボーブリッジについても車が全く進まない。結局、わずか数百メートルの橋を渡って米国への入国までに1時間30分もかかってしまった。

昼飯も時間なくバーガーキングであっさり済ませて、バッファロー空港まで。
レンタカー返却前にガソリンを入れたのに、ポンコツのフォード、トーラスのガソリン表示が満タンを表示しない。レンタカー係員は満タンじゃないのでカネを払えという。文句を言ったが、案の定、私は知らん、カウンターで相談しろ、のたらい回し。支払いの際に、もう一度言ったら、分かった分かった、といいながら、ちゃっかり渡された明細の中にガソリン代が含まれていた。ふざけるな、Heartsレンタカー。

空路シカゴまで戻って、やっぱり日本食レストランへ。その後、お土産を買いに大型スーパーへ。
今朝方、両親を空港まで送って、そのまま出社。空港では、預けたスーツケースが抜き打ち検査をされて、せっかく丁寧に詰めた荷物を黒人のオヤジが引っ掻き回す。柵越しで、スーツケースの中の荷物一個一個を手にとられて放り投げられるのはなんとも嫌な気分であった。このオヤジ、コーヒーを飲みながら、隣の黒人のおばちゃんとペチャクチャしゃべって、まるでゴミ箱から食べ物を探すように、人様の荷物を探る。実に不愉快。
そういえば、あっさりスーツケースの鍵を開けられてしまったのだが、その気になれば荷物の鍵なんて気休め程度にすぎないようだな。横にいた学生らしき数人は、「チップをつかませたから検査を逃れた」と言ってたけど、そんなものなのかもしれない。
特に問題となるものもなかったのだが、丁寧に時間をかけて梱包した土産だのシャツだのをぐちゃぐちゃに詰められてしまった。田舎の両親は唖然としていたけども、まあこれもいい土産話になればいいか。

大したトラブルもなく、今年のイベントの一つが終了。
両親も、初めてのアメリカで見るもの聞くものが驚きの連続だったようだ。 そういえば、親子でこれだけ一緒に長い時間を過ごしたのは、過去に記憶がない。親とは昔は色々あったけども、やっぱり親は親である。長生きして欲しいと切に感じる。


Kyosuke