sakuraの日記
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| 2001年10月21日(日) |
もてなし好きのDNA |
今日、Y姉妹と自転車で帰りながら、Y姉妹がわたしに言った。
「sakuraちゃんはなんでそんなにサービス精神旺盛なの?」
“えっ、わたし?内の家族みんなこんなんやけど。”という具合に話をしていて思った。
昔から、私の家には沢山の人が出入りしていた。別にお商売をしていたわけではないが、なんか人の集まる家だった。
母から聞くと、初めは父の会社の後輩たち、子どもが生まれるとその子どもたちの友達。という用に、時が移り変わっても常に誰かが出入りする賑やかな家。
私が幼い時、いつも兄の友人たちが入れ替わり立ち替わりやってきた。 で、夕食時になってもいっこうに帰る気配も無く、 「晩ご飯どうする?」ってことになるが、たいていいつも友人の誰かが食卓についていた。 それを怒る事も、不思議に思う事もなく、育って来たので、訪問者に食事を勧めるのは我が家の慣例となっていた。
ある時などは、まだ、兄が帰っていないうちにその友人来ていて、兄の分の食事を食べてしまったこともあった。 「おまえ、帰ってくんの遅いから、俺、代わりに食べといたで。」ってな具合。
これってどっから受け継いでんの?と考えるとそれは母の実家にあった。
母の実家は家で商売をしていて、人の出入りも多いし、母の子どもの頃は、4世代同居の上、お店の従業員の人も一緒に住んでいると言う大家族だったそうで、 母の父親は子どもたちより、仕事をしている従業員をより大切にして、食事の品数も量も多めにして、働き手を大切に扱ったそうです。
そういう、人を大切にする精神を母はそこから自然に学んで行ったようです。 母の実家では、戦時中の食べ物のろくに無い時代でも、母の弟の友人にも食事を分けて食べたそうです。 材料がほとんど無く、芋のつるや、かすかに見えるご飯粒の雑炊をみんなして分け合ったという話を聞きました。
いまだに、母の弟のその友人は、母の事を00ねえちゃんと呼んで慕ってくれていて、お付き合いが続いているのは、微笑ましいことだと思います。 同じ釜の飯を食べた仲と言うのでしょうか。
今からはとても想像できない事ですが、少ない量でも分ける事が出来た母だから人と食事を分けて食べる事はなんの不思議もないことなんでしょうね。 むしろ、食事を共にする事をとても楽しい事と考えているんだと思います。 もちろん、わたしも。
もう、今は母の実家は地震の時に半壊して取り壊し、祖母もその後亡くなったので、何もありませんが、まだ、祖母も大叔母もそこに住んでいた時は、私たちが行くとなったら、大叔母の料亭の味のような繊細な料理でもてなされたものでした。
大叔母の料理は天下一品。その時はまだ子どもで、何も教わっていないのが悔いの残るところです。 いつもそうなのですが、
「あんた来ると思て、たんとごっつぉう作っといたで。たんとお上がりや。」
と言われて、死ぬほど食べても、
「ありゃ、もう終わりかいな。そんな、遠慮せんと食べい。」
とまた言われて、もてなし死にしそうになっていた事を懐かしく思い出します。
この血を受け継いでいるのか。やっぱり私も、人にご馳走したり、笑わせたりするの好きやなぁ〜って思う。
私の姉もやっぱりもてなし好きだし、その子どもたちも人見知りなしのサービス精神旺盛。
もてなし好きのDNAは脈々と受け継がれている事を感じずにはいられないな(^。^)
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