我、主を待ちわびる - 2005年11月21日(月) *主は我に向かい、我が望みを聞いた。 *「あなたの救いを…」 *それははじまりだった… 昔、そういう同人誌を読んだ。 今でも覚えているってすごいね。 当時のインパクトが絶大だったからね。 …今、このネタ使ったら怒られる…よね; ワンフレーズならいいかな…(ダメです。) でも今ものすごくこんな感じです。 悪魔くんだとかニャルラトテップだとかそういうものが、私をむかえに来てくれるんじゃないかって。 そして、私を連れて行ってくれるんじゃないかって。 それは、理想郷なのかもしれない。千年王国なのかもしれない。クトゥルフ復活による人類滅亡なのかもしれない。 それでも、我が主の導きが得られると言うのなら、私は終着地点はどこでも構わない。 最近ずっとこのフレーズが私から離れないのはその思想からなのかもしれない。 「主を待ちわびる」というのは最近固定された言葉でしかなく、「何か」をひたすら待っている感じはずっと前から存在している。 理由はわからない。 私が生れ落ちた時から何かを待っていたのかもしれない。私という人格ができた時からなのかもしれない。あのアニメに出会った時からなのかもしれない。クトゥルフに出会った時からなのかもしれない。彼に出会った時からなのかもしれない。 いつかはわからないけど、ずっと私の中にある感覚。 今私がやらなくてはならない。 自分が動かなくてはいけない。 誰かを待っている事は許されない。 だけれど私は待っている。 主よ。 私だけの主よ。 貴方のためには私は何人も裏切り、何人をも殺していこう。 ただ盲信し、愛し、忠誠を誓おう。 貴方のためなら何でもしよう。 罪を犯し、穢れ、闇に生きよう。 あなたが望むものを、あなたに齎す為に。 捨て駒にでもなろう。 あなたのために死ねるのならば、この命あなたに捧げよう。 私の命も、身体も、人生も、私自身の全てをあなたに捧げよう。 愛しています。 待っています。 永遠に。 自分の中にいる人格がひょっこり表に出たりする。 それが漫画や小説のキャラクターになったりするのなら、上の思想を持っているのは「紅」と「凛」ですね。 「何かを待ちつづけている」人格は紅に。 「誰かを盲信し続ける」人格は凛に受け継がれているような気がします。 でもそう考えると、秋は「待ちつづける人を迎えにくるもの」であり「盲信される人間」である。 私の憧れであり、待っているのは秋のような人なのだろう。 秋のモデルはうちの学校の先輩ではあるのだが、性格そのものはどう考えてもニャルラトテップ。 何を考えているのかわ皆目理解することは出来ず、気まぐれで人を救い、愛で、裏切り、捨てる。 そんな「主」の理想像。 -
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