加藤のメモ的日記
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2023年09月08日(金) 死刑囚に初の再審無罪請求

昨年12月5日、免田さんが亡くなった。95歳だった。”免田事件”としてその名前は歴史に残っている。1948年12月30日、熊本県で起こった事件だ。祈祷師夫婦殺害され、夫婦の娘らが重傷を負う。現金が奪われた、強盗殺人だ
逮捕された免田さんが取り調べで拷問と脅迫加えられ、自白を強いられた。後に公判で無罪を主張した。アリバイがあり、証人もいると……

しかし検察に覆される。地裁で死刑判決が下され、1951年に最高裁が上告棄却を言い渡し、死刑が確定した。しかし、免田さんの戦いはここから始まる。5次にわたる再審請求が其の都度破棄された。6回目の請求が高裁判断で認められ、遂に再審開始。アリバイの明確な証拠が提示される。1983年7月16日、熊本地裁八代支部は無罪判決を下して、免田さんは釈放された。

検察側は控訴を断念、無罪が確定する。事件から実に34年6か月が経過していた。死刑囚の再審無罪判決は我が国で初のこと。これは歴史の大きな転換点だともいえる。もし免田さんの死刑が執行されていたら?考えただけ、ゾッとする。取り返しがつかない。死刑制度に賛否あろうが免田さんの事件を踏まえ、その取り返しのつかなさを考慮すべきだ。

我が国では検察が起訴した場合、99.9%の有罪率だともいわれる。取り調べの手法が問題視され、免罪で泣き寝入りのケースもあるのではないか。すでに死刑が執行されていて、実は無罪だった、ということがあったとしたら?無実の人間を殺したのは国家であり、国家を構成する我々一人一人がすなわち殺人犯ということになるだろう。

大塚公子著『奇形執行人の苦悩』という本がある。死刑を執行する刑務官を取材したノンフィクションだ。彼らは我々国民の代理として人を殺している。裁判員制度が始まって12年を経た。死刑執行人の苦悩を思えば、公選制で国民死刑執行人制度を導入するという考えもあるかもしれない。自分の手で死刑が執行できる、という者だけが、真に死刑制度を肯定できるのではないか。


『週刊現代』7.10


加藤  |MAIL