加藤のメモ的日記
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2023年09月01日(金) 老いと病に向き合った人たち

梅原猛 

がん 肺炎 享年93

「死に方に哲学があらわれる」3度のがんでも愚痴は言わないと決めた

生と死を見つめ続けた哲学者らしい最期だった。梅原猛さんが京都の自宅で息を引き取ったのは、2019年だった。息子で京都芸術大学名誉教授の梅原賢一郎さん(68歳)が語る。「父の体調に変化が訪れたのは、2017年12月29日でした。夜中にトイレに行った際に、転倒してしまったようなのです。朝、母が気が付いた時にはベッドへ戻り、うつ伏せになった悶絶していました。すぐに救急車を呼び受診したところ、腰椎の骨折だと診断されました」

年の瀬というタイミングも悪かった病院が平常時のような診療体制を取っておらず、精密な検査を受けられない。結局、手術を受けるまで10日間も空いてしまった。その間に、体力が一気に低下してしまったのだ。年明けの手術は成功したが、骨折により梅原さんは寝たきりの生活となった。高齢になるほど、一度寝たきりになると、体中の筋力が劇的にしてしまう。それは喉の嚥下機能も例外ではない。

転倒事故を起こしてからの梅原さんは、あっという間に固形物を食べられなくなった。梅原さんはチューブを食道に通して流動食から栄養を摂っていたが、衰弱は進む一方だった。そして2019年1月12日、肺炎を悪化させて亡くなった。93歳と長寿だった梅原さんだが、病との戦いは30年以上に及ぶ。60歳で大腸がん、72歳で胃がん、82歳で前立腺がんと実に3回もがんに侵されている。

度重なるがんとの闘病に、晩年の転倒による体力の低下から起きた肺炎、老いと向き合うにつれ、梅原さんはある境地にたどり着いた。

「父は、死に抗う姿勢を一切見せませんでした。ことさら『死』とは何か、口に出すこともなかった。愚痴を言わず、弱音も吐かない。私たちに高尚なお説教を垂れることも、もっともらしい遺訓を残すこともしませんでした。きっと父は、死に方にこそテル学者としての生きざまがあらわれると信じていたのでしょう。ただただ静かに死に向き合い、デクレッシェンドするように最期を迎えました。灯が自然に消えていくような死に方です。母は父が死んだとき、『まるで花が咲いたみたいに逝っちゃったね』とぽつりと漏らしました。長く一緒に過ごした母でさえ、深く納得できる最期だったのだと思います」

生きることはつまり死ぬことと同義だ、そんな信念を胸に秘めた梅原さんだからこその、大往生だった。


『週刊現代』7.10


加藤  |MAIL