加藤のメモ的日記
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| 2023年03月10日(金) |
拓銀「最後の頭取」が語った、バブルとわが人生 |
(自分にけじめをつけるため、この本を書くことにしました)9000億円超の不良債権を抱え1997年に破綻した北海道拓殖銀行。その「最後の頭取」を務めた河谷禎昌氏(84歳)の20年越しの証言にいま注目が集まっている。
今年2月にはダイヤモンド社から回顧録を出版。10月には拓銀の幹部らのその後を追った北海道新聞の長期連載が『拓銀敗戦の記録』として書籍化され河谷氏の告白が巻頭を飾っている。5月には札幌市内で「河谷氏と語る会」が開かれ120人もの聴衆が集まった。バブルの荒波にもまれた男に、ちょっとしたバブルが起こっているのだ。
河谷氏の壮絶な体験を考えればそれも不思議ではない。頭取に就任した1994年、すでに拓銀は火の車。立て直しに奔走したが、結局は大蔵省主導で破綻処理が進められる。さらに河谷氏は放漫経営の責任を問われ、特別背任罪で起訴されてしまう。
「今振り返れば、河谷氏はたまたま破綻直前に頭取に就いただけで。彼に拓銀の放漫経営の責任を押し付けるのはおかしいところもある。しかし当時は、誰かにその責任を取らせなければ世論が許さないというムードがあった。河谷氏はその”生け贄”となったともいえます」(経済ジャーナリスト磯山友幸氏)
一審判決では無罪となったものの、高裁で実刑判決が下り、2009年に最高裁で実刑が確定した。1年7か月の獄中生活を過ごした。国家に翻弄された河谷氏の人生。冒頭の一文は回顧録からの引用だが、捨て身の覚悟で洗いざらい語っており、破綻の責任は一体、誰にあったのか。私が東京裁判の裁判長のような立場になれるのならば、拓銀最後のA級戦犯として挙げるのは次の5人と、山内会長や佐藤安彦元副頭取らの名前を並べ、責任を問うている。
元幹部らにも言い分はあるだろうが、拓銀幹部のなかで唯一収監された河谷氏の証言だけに、生々しく響く。翻って今の日本経済について「いつまでもこんな調子が続くはずはない」とも。バブルの恐ろしさを身をもって知る男の言葉は重い・
『週刊現代』11.16
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