加藤のメモ的日記
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2017年04月04日(火) グローバル化の憂鬱

藤原正彦氏は、数学者の目玉で複眼的に観察し、匂いを嗅ぎわけ解剖して。パズルを解くように示してくれる。明快である。格闘技を修練して。屁理屈をこねる者を退治し、日本人差別をする税関には勇猛の精神で突貫する。日本は世界に類がない平和愛好国で、争い事を嫌う。太平洋戦争でコテンパンにやられて、争いを避けることが国是となった。尖閣、竹島、従軍慰安婦、南京虐殺に関しても、こちらの見解を明示せずにぶつぶつと意義を唱えるだけだ。日本人として生まれた宿命で、真実は一つだから、世界はいつかわかってくれるだろうと思っているか、そうはいかない。

隣国の広報宣伝やロビー活動により、アメリカをはじめ世界はそれらの言い分に大きく傾き、史実になりそうな勢いだ。世界各国を旅して、会った人々と激しい議論を交わし、すんでのところでケンカにならないのは、ユーモアの技術にたけているためだ。ユーモアは、場数を踏まないと使えない武器で、あんまり若い連中がやると嫌味になる。

代数学者の岡潔先生は、パリで多変数関数論の研究にとりかかる前、蕉門の俳諧をすべて調べ、『奥の細道』『更級日記』『笈の小文』などの研究に没頭したという。俳句は藤原家のお家芸で、祖父は杣人(そまびと)という俳号を持っていた。父(小説家の新田次郎)は満州気象庁にいた、「秋雨や家なき人の集まりて」と父の句が残されていたという。

藤原氏がアメリカにいたころ、毎週のように母(藤原てい)から航空便が届き、最後は父の俳句で締めてあった。3月の初めに貰ったものに「紅梅の色に滲ませて春の雪」があった。この1行の俳句で故郷をもい出した。この1行の俳句で故郷を思い出した。で、ご本人は、芭蕉の「山路来てなにやらゆかしすみれ草」のような品格高い句を目指して「山路来てなにやら怖しスズメバチ」と読みました。


『グローバル化の憂鬱』藤原正彦著


『週刊現代』1.13


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