加藤のメモ的日記
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2016年03月08日(火) 深作欣二(きんじ)とその周辺

一昨年、相次いで亡くなった俳優の高倉健と菅原文太は、かって「健さん」「文太兄イ」と呼ばれ、特に若い男性から慕われていた。男のための男の「アイドル」というのが、大きな意味を持つ。全共闘世代は「健さん」の「任侠映画に熱狂したという。続く『文太兄ィ』は銀幕の中で派手に飾ったトラックを疾走させ、パトカーをけむに巻いた。そして、1980(昭和55)年、NHK大河ドラマ「獅子の時代」い主演。逆境に身を置きながら明治新政府に抵抗し続ける会津出身の男を、荒々しくも繊細に演じた。それらを僕らは夢中になり追った。

理不尽な強い力には決して屈せず、自分の信念を貫く。腕っぷしは強いが、実は社会的には弱者。しかし、さらなる弱者を守ろうと卑劣な敵と戦う。そんな生き方は現実的には難しくとも、男の子たちにとって憧れの理想像だったのだ。「文太兄イ」の役割は、やがて若手の「松田優作」に移る。ところが1989(平成元年)に松田優作が40歳で亡くなるや『男』の理想像が失われた。時はバブルの絶頂期。残ったのはCMでの健さんの「不器用ですから」の一言であり、理想像は単なる世渡り下手な男に一変した。

ただ、以上の3人は実生活でも「男」らしさを貫き亡くなったから、単なる偶像ではなかったのだろう。しかし、その次が出てこない。現代の男の子にとり、かっての「健さん」「文太兄イ」「松田優作」に匹敵するのは誰だろう。どうも思い当たらないのだが、それがlこの国にとり、大木は不幸の始まりである気がしてならぬ。


荻博物館特別学芸員 一坂太郎

『中国新聞』1.13


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