加藤のメモ的日記
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| 2016年02月14日(日) |
ある天才の危うい挑戦 |
ここ30年ほど、チェス、将棋、囲碁などでコンピューターによる人間への挑戦が盛んにおこなわれてきた。そしてついに1997年、IBMの開発したディープブルーというチェスソフトが世界チャンピオンを負かし、2015年にはついに日本の将棋ソフトがプロのトップ棋士を相手に互角に戦った。将棋では追いつかれたが、盤面が格段に広い囲碁は着手可能な手の数が将棋よりさらに140桁も多く、「最後の砦」とさえ言われるほどだからまだ50年はかかる、と昨日まで思っていた。
それが今日、2016年1月28日の新聞に度肝を抜かれた。グーグル傘下のイギリス企業の囲碁ソフトが、欧州チャンピオンのプロ2段に5連勝したのである。余勢をかって来る3月にはm世界最強と召される韓国プロ9段と対戦するという。数年前の囲碁ソフトは最強のものでもアマ初段レベル私より少し強い程度のものだった。さらに調べると、この画期的なソフトの開発の立役者は、でミス・ハサビスという天才であった。
デミスなら20年ほど前東京で会ったことがある。ケンブリッジ大学での同僚からこんなメールが届いたのである。「正彦が教えていたここのクイーンズ・コレッジに、デミス・ハサビスという19歳の青年がいる。13歳でチェスのマスターとなった神童で、17歳の時にはテーマパークというゲームソフトを開発し億万長者となった。数学と囲碁における私の弟子だが近々東京に行くから会ってくれないか」。Tシャツにジーンズ姿という軽快な出で立ちで大学の研究室に現れた彼は、イギリス人としては小柄で、太く黒い眉の下の目がいたずらっ子のような光を放っていた。素性を尋ねると、父親がギリシア系キプロス人、母親が中国系シンガポール人と言った。
一時間ほどの四方山話の中でこう尋ねた。「ゲーム開発で才能を示したのになぜ大学で数学やITを学ぼうとするのか。「もっと学問を深めて大きな仕事をしたいと思いました。」「大きな仕事?」「実はプロを負かす囲碁ソフトを作るのが夢です」「将棋のソフトは2,30年もたてばプロに勝てるようになるだろうが、囲碁のほうは計算量が膨大だから、本質的な進歩が必要だ。人間の高次な思考である類推のようなものを作らないと無理と思う」。
人工知能と人間の脳との差異に興味を持っていた私は持論を述べた。内心は絶望的と感じていたが、無論口には出さなかった。デミスは黙ってうなずいていた。囲碁の腕試しとして日本棋院を勧め、将棋では友人の息子で麻布高校将棋部だった東大生を紹介した。二人は倹約のため、デミス持参の将棋盤を用いてモスバーガーで対戦したという。
彼はケンブリッジのコンピューター科学を最優等で卒業し、数年間IT企業で働きながらMSO(頭脳スポーツオリンピック)で世界チャンピオンに5度もなった。とゲームを捨て、脳科学を学ぶためにロンドン大学の大学院に入学した。そこで、脳の海馬の損傷により記憶喪失した者は自分の未来を想像できなくなる、という画期的論文を著し(あらわし)、サイエンス誌でその年の科学十大発見の一つに挙げられた。
しかし数年で学究生活にピリオドを打った彼は、ディープマインドというAI関連の会社を2011年に設立した。これが3年後に、デミスの天才に惚れ込んだグーグルにより700億円で買われたのであった。消えることの多い神童の大成がうれしかった。そして同時に人工知能の急激な進歩と、70人余りでスタートして3年の小企業を700億円で買うという、アメリカ企業グーグルの異常とも思える意気込みと執着に、そこはかとない危機感を抱いた。危機感とは論理や道徳や情緒を備える前に人間を多くの点で凌駕するであろう人工知能ロボットが、いつの日か人類を滅亡の淵に立たせるのでは、という危機感である。
『週刊新潮』2.11
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