加藤のメモ的日記
DiaryINDEX|past|will
| 2015年11月05日(木) |
佐木隆三氏裁判に生きガンに死す |
「復讐するは我にあり」で直木賞
自ら「傍聴業」刑事事件を題材にした小説多数
78歳下咽頭ガン
刑事事件や、その裁判を題材にしたノンフィックションなどで知られる直木賞作家、佐木隆三(さき・りゅうぞう)氏(本名・小先良三=こさき・りょうぞう)が20145年10月31日午前8時40分、下咽頭ガンのため北九州市の病院で死去した。78歳。自らの仕事を「裁判傍聴業」と称し、裁判傍聴による取材メモをもとに、数々の作品を生み出した。一般傍聴人の法廷メモ取りを可能にするよう闘い、道を開くきっかけを作った功績でも知られる。
緒形拳さん主演
裁判の傍聴を通じた取材メモを基に凶悪事件の真相に迫り、多くの作品を生み出した社会派作家が、この世を去った。
佐木さんは朝鮮半島生まれ。高校卒業後、八幡製鉄に入社した。同人誌に小説を書き始め、1963年に製鉄会社を舞台にしたジャンケンポン協定」で、あ新日本文学賞を受賞した。1964年に退社した後は、文筆活動に専念した。
5人が殺害された実際の連続事件をテーマにした長編小説「復讐するは我にあり」で1976年、直木賞を受賞。79年には今村昌平監督、緒形拳さん主演の映画で公開され、佐木氏の名を世間に広めた。沖縄の暴力団抗争を描いた「海燕ジョーの奇跡」も、時任三郎主演で映画化。田中角栄元首相や元プロボクサー具志堅用高氏など、テーマは広かった。
1988〜89年に東京、埼玉で起きた連続幼女誘拐事件、オウム真理教の地下鉄サリン事件など、昭和、平成史に残る事件の裁判を継続して傍聴。膨大な裁判記録から、事件の背景や犯行心理を詳細に分析した。自著では「裁判傍聴業」と名乗った。1989年にそれまで法廷で禁じられていた一般傍聴人のメモ取りが「解禁」された際、そのきっかけの一つとなった裁判を起こしたことでも知られる。
1999年に活動の拠点を北九州市に移した後は、2006年11月から12年3月まで、市立文学館の館長を務め、子供たちにルポルタージュの書き方を教える教室を開いた。広島原爆で爆心地から約50キロ離れた広島県小田村で立ち上るきのこ雲を目撃した戦争体験から反戦活動にも力を入れた。
『日刊スポーツ』2015 11.2
|