加藤のメモ的日記
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2015年05月30日(土) 『虚偽自白はこうしてつくられる』

取調官の言葉が「自白調書」になる。資料と録音を比べて免罪事件の真相を探る

やってもいないのになぜ自供するのか。誰しも思う疑問である。まして、死刑にされるかもしれない殺人事件でさえ自供し、一審の裁判が終わるまで、自供を覆さない被告もいる。この本の主人公で、目下、再審請求中、「狭山事件」の石川一雄さんである。著者は自供して服役し、出所したあとに真犯人が現れた強姦事件「氷見事件」(ひみじけん)や少女殺人で1年7ヶ月も自供を維持して無期懲役になった「足利事件」などを証拠にしながら、免罪で逮捕された容疑者の奇妙な心理を分析している。

虚偽の自白といっても、拷問で無理矢理口を割った結果ではない。著者が「自白的関係」という、取調官(警察官)と容疑者の親密な人間関係が成立した結果である。狭い独房と取調室、この非日常的な空間の中で、緊張感と孤独感から、取調官への依存と迎合が始まる。「刑罰は遠い将来に予想される可能性」であり、今現実に味わっている絶望感から脱却したい。免罪者特有の心理である。

この本は、証拠として法廷に出された、やや饒舌な自白調書と、50年経ってようやく開示された、取り調べの録音データとを対比して分析した、貴重な記録である。自白調書は、裁判では貴重な証拠になる資料だが、それはあくまでも、取調官が取調官の言葉で記載したものである。速記録でもなく、ビデオや録音テープの反訳でもない。それを検事や判事が読んで納得する。それがまかり通っている。

石川さんは「私は」との主語で、犯行を語っているのだが、実際のテープではほとんど取調官二人が両側から捜査記録に基づいて話しかけ、石川さんは「うん」とだけ答えている。訂正があり、追従笑いががあって、それで供述書には、立派な物語として記載される。著者は「うん」とだけ答えている。訂正があり、追従笑いがあって、それで供述調書には、立派な物語として記載される。

著者は、取調官が「有罪仮説」と同時に「無罪仮説」で考えることを主張している。無罪仮説で考える柔軟さが、冤罪を救い、「証拠なき確信」が冤罪(えんざい)をつくる。取り調べの可視化と録音と全面開示が緊急の課題だ。


週刊現代 5.30


『虚偽自白はこうしてつくられる』浜田寿美男
奈良女子大学名誉教授。発達心理学、法心理学を専門とする。


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