加藤のメモ的日記
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2015年04月17日(金) あの場所へ帰りたい

九死に一生を得たにもかかわらず、私はそのことを深く考えずに登山を続けていました。2回目の滑落は同年の12月。この時は同じ後立山連邦・鉢木岳。雪壁ををのぼっていた際にアイゼンが真っ二つに折れて滑落してしまいました。100メートルほど滑ったところで岩にしがみついて事なきを得ましたが、その帰りのこと。
突然、山の奥から「もう山へは来るな」という声が聞こえたのです。まわりには誰もいませんでしたが、確かに聞いた。その声で憑き物が落ちたかのように体が楽になり、山への執着心がなくなりました。それ以降、本気の「登山」は一度もしていません。

神奈川県相模原

こうして東大病院で奮闘している間、私は相次いで両親を亡くしました。父は病院でしたが母は孤独死。父亡き後、母には同居を持ちかけたんですが、「大丈夫だから」と亡くなる日まで相模原の小さなアパートで自立した生活を送っていました。
ただ、死期は感じていたようです。入浴中の心不全でしたが、生前はずすことのなかった結婚指輪が父の遺影の前に置いてありました。横には友人知人からの葉書があり、一番上には「葉書で連絡してください」とのメモ書きが。思い返せば、清貧だった母の晩年は平温に満ち足りた様子でした。そして、誰の手を借りることもなくそっと逝く。母の死の迎え方は私の理想に近いものです。

穏やかな死を迎えるためには、自分の運命を受け入れることが大切だと思います。多くの死に接してきましたが、亡くなるときに人の顔は変わります。肉体が死んでも霊魂は生き続けているからです。弟がそうでした。一昨年にガンで亡くなったとき、時間とともに口角が上がって笑顔になっていきました。この世の苦しみから解放され、あの世へ旅立ったのだと感じました。なお、亡くなる直前に驚いた顔になる方もいます。お迎えに来た方々に会ったからでしょう。長く医療現場にいて、科学では解明できないことにいくつも直面してきましたから、不思議だとは思いません。霊魂は生き続けると思えば、今をどう生きるべきか、考え方が変わってくるのではないでしょうか。「ありがとう」という気持ちで死を迎えたいと思います。


矢作直樹(やはぎなおき)1956年、神奈川県生まれ。1981年に金沢大学医学部卒業。麻酔科、救急・集中治療、内科などを経験し、2001年から東京大学大学院医学系研究科救急医学分野教授および医学部付属病院救急部・集中治療部長。著書に『人は死なない』(バジリコ)など多数


『週刊現代』4.18


加藤  |MAIL