加藤のメモ的日記
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いつか子供たちの記憶に
娘とスーパーに出かけた。アイカツ(アイドルの活動)のゲームをするためだ。このところの日曜の日課である。私は娘の喜ぶ顔見たさに連れて行く。ゲームが終わるまで一時間ほど休憩コーナーで待つことになる。その間に寺田寅彦の随筆を呼んだ。彼が没する前年に書いた『庭の追憶』という短い文章だった。長いこと人に貸してある高知の実家の庭を描いた油絵が、上野の美術展に出品されると聞いたので見に行ったという話である。
油絵は「秋庭」という題で一面に朱と黄の色彩が横溢していた。最初はそれが昔なじみの実家だとは呑み込めなかった。しかし、少し見つめる打ちに幼児から学生時代のことが思い出されてきた。最初に目についたのは、画面の中央下にある一枚の長方形の飛び石だった。その石だけでも、ほとんど数え切れない喜怒哀楽の追想の場面が呼び起こされた。夏休みの帰省中彼は毎晩のように座敷の縁側に腰をかけて、蚊を団扇で追いながら、両親を相手にいろいろの話をした。そのときにいつも目の前の夕闇の庭の真ん中に薄白く見えていたのがこの飛び石だった。
〈ことにありありと思い出されるのは、同じ縁側に黙って腰をかけていた、当時はまだうら若い浴衣姿の、今はとくの昔に亡き妻の事どもである〉と寅彦はいう。彼と学生結婚した妻・夏子は生まれたばかりの娘を残して19歳で逝った。寅彦の回想は続く。飛び石のそばの楠の梢には雨気を帯びた大きな星が一ついつもいつもかかっていたような気がするが、それも全くもう夢のような記憶である。その頃のそうした記憶と切っても切れないように結びついているわが父も母も妻も下女も下男も、みんなもう、一人もこの世には残っていない。
ここまで読んで少年の私の心を捉えたものの正体がやっとわかった。寺田寅彦は生の哀しみを語っていた。生きるということは、いつか愛するものたちと別れることだ。誰も逃れられない運命がある事を私の心に刻みつけたのだ。だが、寅彦はこうも書いている。美術展の〈会場を出るとさわやかな初夏の風が上野の森の若葉を渡って、今さらのように生きていることの喜びをしみじみと人の胸に吹き込むように思われた。去年の若葉が今年の若葉によみがえるように一人の人間の過去はその人の追憶の中にはいつまでも昔のままによみがえって来る〉と。
ゲームが終わってスーパーを出た。夕暮れの路を急ぎながら娘は「プレミアムカードが2枚も当たったよ。パパ、ありがとう」と言った。この子はいつも「ありがとう」と言う。それを聞くたび私の心はじんわり暖かくなる。生きる喜びはこんなところにもある。もっと早くそれに気づいていれば、別の生き方ができたかもしれぬ。自ら選んだ人生だから悔いはないと言えば嘘になる。それでも、子らはこれか自力で人生を切り開いていくだろう。私は、無条件に親に愛されたという記憶を子らに遺せばいいのではないか。それでいいんだと思いたい。
魚住 昭
『週刊現代』2.28
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