加藤のメモ的日記
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幼馴染から預かった子供を育てる代理母。人の成長の不思議と「生」を見つめる小説
一度は付き合ったこともある幼馴染の男が、互いに40歳になった頃、ふいに現れて一歳にならない男の子を預けていく。その子の母親は交通事故で死んだという。働いて必ず迎えに来るから、と言い残して男は行方をくらました。そうやって「山尾」(やまお)が「わたし」もとにやって来て10年―。
そんな発端で「わたし」のなさぬ仲の代理母生活が始まった。腹こそ痛めていないけれど、10年も育てれば立派な母親。彼女を「かあちゃん」と呼ぶ息子は、なぜか「わたし」に似てきて、しかも未知の「オトコの子」らしさを発揮し始める。育児はほとんどの母親が普通のことのようにやっているが、本当は驚異の連続のはずである。
目に見えない階段を少しずつ上がっていって、やがて別人のように変化していく不思議。じっと物思う頭の中には何が渦巻いているのか。血肉の結びつきにもたれられないゆえに、「わたし」は身近な異人のように息子を見つめ続ける。その視線は同時に、彼女自身にも向かってくる。
実は預かったとき、男は大金を託していった。それを彼女はわずかしか使っていない。金銭と引き換えに委託された「仕事」にしたくないという意地だったろう。息子の未来と一緒にその使い道も据え置かれている。もう若くはない自分が、いつか息子と別れる未来でもある。戸籍上は「同居人」でしかない仮の息子。寝息を立てる山尾を眺めながら「わたし」はこう思う。
〈子はみんな。誰か特定の女の腹から生まれながら、そして一応は。どこか特定の家に繋がれた家畜のような顔をしながら、でも誰にも、どこにも所属しない、落ちてきたもの、捨てられたもの、誰のものでもない者、なんじゃないか〉そう「たまもの」なのである。この人の世からもたらされ、人の世に返す「たまもの」。しかし、だとすれば私たち自身の生もまたそうではないか。
『たまもn』著者 小池昌代 1959年生まれ。小説家・詩人。小説 「タタド」で川端康成文学賞、2010年、詩集『コルカタ』で荻原朔太郎賞受賞
『週刊現代』8.2
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