加藤のメモ的日記
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2014年05月15日(木) 官僚国家の崩壊

生物学の世界では、「全体は、部分の総和以上のものである」という公理がある。生物界では部分の相互関係で「1+1=2以上」の現象が起きているのだ。しかし、部分ごとに縦割りを徹底したのでは、いくら足し算をしても、「2以上」の効果は期待できない。むしろ、合成の誤謬がここから出てくる。部分的合理性が寄り集まると、とんでもない「予期せざる結果」を生み、「1+1=2以下」になってしまうのだ。これこそが、縦割り思考、専門性の弊害である。

これに対して、アマチュアリズムは専門領域を超えて俯瞰できる能力を持ち、あらゆる垣根を超えた自由な発想をする。その結果、「1+1=2以上」という現象がしばしば起こる。すなわち全体は、部分の総和以上のものである。という公理が働く社会をリードできるのは、専門性を克服した本当の意味でのアマチュアリズムの専制なのである。本当の意味でのプロフェッショナリズムもまた、そうした本当の意味でのアマチュアリズムと相互補完的な関係であるはずだ。

本当の意味でのアマチュアリズムの政治と、本当の意味でのプロフェッショナリズムの官を確立し、互いに補完し合いながら相乗効果を生む。これがポストステルス複合体時代の政と官のあり方である。今はどうかといえばプロ的政治家とプロでない官僚による混合体になっており、関係が錯綜している。ここでいうプロ的政治家とはいわゆる族議員を指す。族議員とは特定政策分野の専門的知識を持ち、その分野の官庁とほぼ一体化している議員のことをいう。彼らは霞が関を叩いてるようで、実は撫でてている。

しかし、族議員も今では極めて少数になったように思う。1996年の総選挙から衆議院に導入された小選挙区制により、一部の領域だけのプロとしての官庁と一体化している議員は、連続当選ができなくなっている。プロではない官僚という表現は異和感があるかもしれないが、キャリア組の総合職は、何の専門性も持たないことを誇りとしている人々、すなわちゼネラリストである。

外資系企業での勤務経験のある小泉チルドレン議員がいっていた。外資系企業と日本企業の違いは、専門職の多い外資系、管理職の多い日本企業なのだそうだ。この日本企業の構造は日本の官庁も全く一緒である。専門知識のない法学部出身の学士が、財政金融政策に携わるとどうなるか。専門性を生かして、より良い政策づくりをし、自らの生きがいを得ようという方向にはいかず、支配をしようとする。

彼らは、縦割りを超える発想を持つことはない。せいぜい、同じ省の局・課を超えるだけであり、省は超えられない。専門家ではない彼らが、専門専制するからこそ、共同体としての身内の利益、仲間のメンツのために仕事をする結果を招いているのではないか。政治のアマチュアリズムか、行政のプロフェッショナル化が必要だ。では、名誉、栄光を価値とするアマチュアリズムの政治とはどのような形なのか。それが「党人派の政治」である。



『官僚国家の崩壊』 中川秀直


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