加藤のメモ的日記
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2014年01月22日(水) 谷啓

認知症を患っていたのに、森繁さんの死を言い当てた

「辛い時こそ明るく」と息子たちに教えた

親父が階段から足を踏み外して滑り落ちたのは、2010年9月のことです。僕はいつものように、昼前、玄関で「オヤジ、仕事に行ってくるよ」と声をかけて出かけました。認知症が進行していたオヤジも、僕が仕事に出て行くことだけはわかったようで、僕の目をジーッと見つめてきた。言葉じゃないけれど、これが最後のコミュニケーションになりました。

仕事を終えて帰宅したら、オフクロが廊下に倒れて意識のないオヤジに寄り添っていた。救急車を呼びましたが、明け方、病院で息を引き取りました。たばこを買いに行っても家に戻れなかったり、近所を徘徊するなど、認知症は進んでいたのですが、僕たち家族のことでは決して忘れず、防音設備のある居間で、大好きなホラー映画をよく見ていました。

そんなオヤジが、僕らを驚かせたことがあります。亡くなる前年の11月のことです。オヤジを一階の寝室に寝かせ、僕は二階の自室にいたのですが、オヤジがパジャマ姿で、ボーッとしながら廊下をウロウロしているんです。徘徊が始まったのかなと思い、「もう寝ようね」とオヤジを促したのですが、「ジイサンが挨拶に来ているんだ」と言って、頑として言うことを聞いてくれない。

相手にせず、とにかく寝かしつけたのですが、その晩の11時頃、テロップで森繁久弥さんの死去の速報が流れたんです。森繁さんは舞台『屋根の上のバイオリン弾き』で、ずっとオヤジと一緒だったから、まずびっくり。それから、オヤジが言っていた「挨拶に来ているジイサン」とは森繁さんのことだったんじゃないかと思って、またびっくりです。

昔から、オヤジはその手のものが見える人で、自分が見た幽霊の話などもしていたんです。晩年は認知症を患っていましたし、ボケていたのか、ホラー映画の記憶とごっちゃになっていたのか、あるいは夢と混同していたのか、今となってはわかりません。

でも僕は、オヤジはあの日、森繁さんと会ったんだと思うんですよ。森繁さんが会い来てくれたら、オヤジも嬉しいに決まっている。親しい人に会えるなら、死後の世界もまんざら悪くない。そう思ったほうが夢があるじゃないですか。


『週刊現代』1.4


加藤  |MAIL