加藤のメモ的日記
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| 2013年11月17日(日) |
みのもんたへの引退勧告 |
もう、みのの時代じゃない
「私は長年テレビの世界で生きてきて、地位とカネを手に入れたことで変わってしまった人を何人も見てきました。みのさんも、そういう人たちの一人だった」こう話すのは、下日本テレビエグゼクティブディレクターの佐藤氏だ。「80年代の終わりから日本テレビは勢いに乗り、視聴率争いでもフジテレビを破りました。その原動力が、昼のワイドショウでみのさんが奥さんたちの心をわし摑みにしたことは間違いない。
彼のアドリブの力量はすごかった。昔、ある番組でみのさんにナレーションを頼んだとき、『本番1回でやる』と主張するみのさんと、『きちんと稽古すべきだ』という私がぶつかったことがありました。『自分の持ち味はアドリブでこそ生きる』とわかっていたからこそ、譲ろうとしなかったのでしょう。私は素直に『たいしたものだ』と感じました。昼のワイドショウという鉱脈を探り当て、フリップで視聴者の興味を引きつけた。みの氏の「おもいッきりテレビ」、ひいては日テレに対する貢献は絶大だった。
「しかし、日テレはみのさんに次第におんぶに抱っこになっていきました。彼はコントロールされることを嫌うようになり、制作側も独自の工夫をしなくなった。そうするうちに、彼自身の力も鈍っていったんです。最近は『これはみのさんじゃなきゃできないな』と思うような番組がなくなりました」(佐藤氏)かって絶大な人気を誇った視聴率男・みの氏の「神通力」はなぜなくなってしまったのか。作家の麻生千尋氏はこう言う。
「だって、押しつけがましいじゃないですか。『世の中を切る』といえば聞こえはいいですけど、要は何でも偉そうに言うだけ。そんなにあなたはお偉いの、と言いたくなります。それに、知的レベルの高い方なら、あのような立場に長くいれば『自分は裸の王様なのではないか』と絶えず不安にさいなまれるはずです。そんな悩みとは無縁に生きてこられたようですが」
引退後はひとりぼっち
今回の息子の逮捕劇によって、みの氏は初めて、自分の来し方と向き合うことになった。「みのさんは、いわばテレビが生み出したモンスターです。彼の底の浅さを知っていながら、今まで褒めそやしてきたメディアにも罪がある。ご自分のお子さんのことなのに逃げ回ったり、出てきたと思ったら雪下駄履きで取材に応じたりしていますが、本性が現れたというほかないですね。自分の振る舞いを常に顧みることができる人こそ、本当に優れた人です。あの方には特にその素養が欠けているのです」(麻生氏)
芸能リポーターで目黒区議会議員の須藤氏も、直近のみの氏の振る舞いをこう断ずる。「『逃げも隠れもしません』なんて言う割には、まるで自分が罪を犯したみたいに逃げ回り、局へ出入りする際はタオルで顔を隠して『隠れみの』なんて言われる始末。見苦しい。もう少し堂々としたらどうなのか。落ち目になると弱い。守りに弱いのは、不倫騒動や談合疑惑で姿をくらましたときとまったく変わっていません。それでもテレビに出続けることに固執するのは、『芸能人は一度消えるとすぐに忘れられてしまう』ということを誰よりも知っているからでしょうね」
「引退勧告」は、お膝元であるはずのテレビ局若手社員からも届いている。「銀座に飲みに連れて行かれても、まったく楽しくないんですよ。ちょっと飲んで、お触りして100万円なんて理解できない。一気飲みの強要も苦痛でした。局内は世代交代が進んでいるのに、あの人だけが昔の感覚のままなんですよ。だいいちもう70になるんですから、僕らにとっては『終わった人』と言う認識です」
最後に立教大学で同窓だったある男性の話を紹介しよう。「みのさんが20代、30代だった頃の上昇志向は、あんな人他に見たことがないというくらい強かったですよ。テレビ出演が軌道に乗ってからは、たまに会うと『今に全局制覇してやるから、見とけ』と言ってはばからなかった。それがワイドショウで成功してからは、野心をカネや不動産に替えるようになっていった。あの鎌倉の大豪邸も、自分の足跡を形として残したいという思いがあったのでしょう。ただ、あんなに働きづめ遊びづめで、家庭をほとんど顧みないみのさんの生き方を見ると、すっかり遠い世界の人になってしまったんだな、と思ったものです。一線を引くことになったら、今までの分、ご家族と一緒に過ごしたらどうですか」
だが、みの氏が一緒に過ごしたいと改心したところで、鎌倉の大豪邸にはもはやその家族はいない。テレビの王様は、自分が裸だったと知ったその時、かってない孤独を味わうことになるのだろう。
『週刊現代』11.9
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