加藤のメモ的日記
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卒業して何年たっても、時折試験の夢を見る人は多いだろう。その中で満点の答案用紙をあげる人は幸いである。私は毎回問題が解けず、焦りのうちに目覚める。また日中、あっ、もう宿題はしなくても良かったんだ、と我に返り安心したりする。学校時代に現実に体現したことの再現だから、単純な話だが、それにしても、いつまでも追いかけてくるのかと恨めしい。
入学試験問題を自前で作らず、あるいは作ることができず、予備校などへ外注する大学が増えつつあるという。出題担当者が寝汗をかくほど、悩む苦労が軽減されるなら結構だが、作問を学外に任せる大学とはいったいどんな了見かと、試験恨めし組はつい言いたくなる。いやそれは抜きにしても、いくら入試多様化で煩雑だ、忙しいからといって入試作問が外注となると、入学時の教育や試験、果ては卒業認定もしっかりやれるのか、と一事が万事的な疑念もわこう。入り口だけの問題でも、青臭い建前論でもない。
試験は学外のプロがそつなく作ってくれるものに頼って事足りるものではない。あえていえば、たとえ正解をつかみかねる「難問・奇問」と批判されようと、ほしい学生へのメッセージとして自ら問題を作り、示すべきではないか。大学に限らず、入試改革は明治以来の教育論争史の常連だが、戦後、進学率が高まり、競争が過熱すると文部省は、「難問・奇問」の是正に乗り出した。
1979年からの共通一次試験、1990年からの大学入試センター試験もそれが主な目的の一つといえる。実際、マークシート方式の択一回答ではややこしい問題は扱えない。同省は学習指導要綱を物差しに中学、高校入試の「難問・奇問」も抑制した。それは正しい。しかしなあ、と思うのだ。
190年代に「ロシア帝国を滅ぼした人名」を問う高校入試問題を文部省が例としてやり玉に挙げたことがある。「正答不明」というのである。歴史学者も大いに困惑するはずのこの問題の意図は知らないが、革命家、政治家、文学者……と名を連ねる秀才君もいたかもしれない。だが「家族のパンを求めてデモに踏み出した無名の人、たとえばイワンとか」と書いた受験生は排除されるのか。
試験の難しさと真骨頂はこういうところにあるのではないか。外注模範問題ではこうはいくまい。出題・採点者が答案を通し受験者の思念と向き合い、すくい取る真摯さと力。少子化で「志願者全入時代」の大学の現実に、甘すぎる夢想か。
『毎日新聞』10.1
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