加藤のメモ的日記
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| 2013年05月17日(金) |
従属と屈辱の日を祝うのか |
主権回復の日の式典の中止を求める
サンフランシスコ講和条約が発効した4月28日に政府主催で、主権回復の日式典を開催すると、安倍首相が決めたことに対し、日本共産党の志位委員長は「従属と屈辱の日を祝うのか」と、主権回復の日の式典の中止を求める、という見解を発表した。(3月14日)
1952年4月28日発行、サンフランシスコ平和条約と日米安保条約により、日本は形式的には独立国となったが、実質的には米国への従属国の地位に縛りつけられたというのが、歴史の真実だ。この日を祝う式典を行なうことは、今日に続く対米従属という国民的屈辱を祝うことに他ならない。日本共産党は、このような式典の企てを直ちに中止することを強く要求する。
サ条約は三つの重大な問題点を持つ。第一は、全面講和でなく単独講和であったことである。戦争をしていたすべての国との平和条約ではなくて、当時の米世界戦略に反対しない国々とだけの平和条約となった。日本軍国主義の被害を最も深刻に被ったのは中国、韓国、朝鮮だったが、この三国の代表ともこの条約を議論したサンフランシスコ会議には招待されなかった。ソ連など3カ国は最終的に条約に署名しなかった。
第二は、領土不拡大というカイロ宣言、ポツダム宣言に明記された第二次世界大戦の戦後処理の大原則に背く、重大な誤りが持ち込まれた。サ条約では第3条で、沖縄を日本から切り離し、永久に米国の支配下におけるようにした。さらに第2条C項で千島列島を放棄し、ヤルタ協定に基づくソ連の不当な占領を追認するものとなった。
第三に、とりわけ重大なのは、サ条約第6条で、連合国のすべての占領軍の撤廃を規定しながら、新たな条約に基づく外国軍隊の日本国の領域における駐屯または、駐留を妨げるものではない、として米軍駐留の継続を求める特別の規定を設けたことである。これは、日本占領の目的が達成されたら、占領軍は日本からただちに撤収することを明記したポツダム宣言に反するものだった。旧安保条約は、米国が日本占領中に絶対権力でつくりあげられた基地すべてをそのまま提供する条約となった。
旧安保条約は1960年に改定されたが、それは日本の従属的な地位を改善するどころか、有事の際に米軍と自衛隊が共同して戦う日米共同作戦条項などが新しい柱として盛り込まれ、日本を対米従属的な基地国家として、将来にわたって固定化するものとなった。世界でも異常な米軍基地の重圧も、日本国憲法第9条に反する米軍と自衛隊との軍事的共同も、全てその根源をたどると、1952年4月28日の日米案条約に行き着く。
旧安保条約の締結は、完全な秘密交渉として行なわれた。しかも当時の日本は、占領軍への一切の批判を弾圧する戒厳令下同然の状態だった。サ条約と安保条約は、日本国民の言論の自由を封殺したもとで押しつけられたものであり、いかなる意味でも日本国民の選択の結果ではないことを強調しなけばならない。
サ条約発効の日を祝うことは、日米安保条約発効により、日本の異常な対米従属が固定化された日を祝うことであり、沖縄を本土から切り離した屈辱の日を祝うことであり、千島列島を放棄したことを祝うことに他ならない。この動きが、日本国憲法を安倍政権の言う、主権国家回復以前に制定されたものとして、その改変を求める動きと一体のものであることも極めて重大である。
『赤旗』3.24
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