加藤のメモ的日記
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2013年04月19日(金) 終わりは始まりである

自惚れがあるのが 生きてゆく力なのだ

「詩」は難しいからと敬遠する人がいるけど、校歌や演歌の歌詞は、みんな立派な詩だ。「大漁旗を翻して新しい日本を築いてください」と、東北の人々を励ましながら、2012年5月、97歳で世を去った会津若松田出身の詩人、杉山平一の、「会釈」という題の、この詩の平易さなんかどうだ!

交番に立っていると
毎朝 会釈する若い女性がいて
若い警官は気分を良くしていた

という、冒頭の3行は朝、勤め先に急ぐ女性と、交番の若い警察官の姿が見えるような情景だ。ところが、詩はこうつづく。

彼女は交番の時計を覗いていたのだ
がっかりしました と警官はいった

そこで詩人は、

私も、うしろの人へのお辞儀を
自分への会釈とまちがえて
恥ずかしい思いをしたことがある

と、警官を弁護して、こう励ますのである。

けれども しかし
若い警官よ
がっかりすることはない
うぬぼれがあるのが
生きてゆくちからなのだから

詩人の人生の叡知は凄い。人は程よい自惚れがなければ生きてゆけない。詩も文章を書けないだろう。ましてや政治家にはなれっこない。過剰なウヌボレのかたまりこそ政治家なのだ。

ウヌボレは、イヌ、ネコには備わっていない人間の特性である。「いま」という詩もステキだ。

もうおそい ということは
人生にはないのだ

と、まず断言してこううたう。

おくれて
行列のうしろに立ったのに
ふと 気がつくと
うしろにもう行列が続いている

なるほど、日常の暮らしのなかでよくあることだ。勤め人たちの昼メシどきの行列!そこで詩人はこう締めくくる。

終わりはいつも はじまりである
人生にあるのは
いつも 今である
今だ

『杉山平一全詩集』現代詩人賞の授賞式で、自作を朗読しようと練習していてのにかなわず、東北への祈りをこめた『希望 杉山平一詩集』が遺作となった。北上する桜前線の桜もまた散るが、次のはじまりなのである。



『週刊現代』4.20


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