加藤のメモ的日記
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2013年03月14日(木) 大研究 東京大学

東大に入っても不幸な人、東大出たのに不幸な人

東大に入れば将来は安泰―そんな甘い時代はとうに終わっている。苦労して狭き門をくぐっても、不幸になる落とし穴はそこらじゅうに隠れている。失敗していった東大生の声を集め、徹底検証した。

授業についていけない

「合格発表会場で胴上げなんかされちゃって、人目をはばからず喜んでいる受験生っているじゃないですか。実は僕もその口なんですけど、そういう人って、だいたい入学した後に不幸が待っているんですよ」(東大経済学部4年男子)3月10日、今年も日本最難関の入学試験を突破した受験生たちが、東大本郷キャンパスの名物、赤門から続く銀杏並木で喜びを爆発させた。さまざまな誘惑を排して、一心不乱に努力を続けてきたのだから、喜びもひとしおだろう。だが、こと東大に限っては、そうした無理な努力で入学することは、あまり身のためにならないかもしれない。前出の東大生が続ける。

「あそこまで喜べるのは、よっぽど努力した人、それも入試の手応えに自信がない人です。要は、努力した凡才なんです。そういう人が東大に入ってもいいことは一つもありません。僕は静岡の公立高校の出身で、周りに東大を受験する友人もいなかったので、、2年間毎日、学校に22時ごろまで残って、担任の先生とマンツーマンで勉強して来ました。入学して驚きました。僕は高校時代勉強しかしていない、と断言できるほど努力してきたんですが、そんななりふり構わずやった、という人はあまりいないようでした。都内の有名私立高校出身の同級生に合格発表の話を振って、『どうせ受かると思ってたから、合格発表は見に行ってないんだ』と言われた時は衝撃を受けました」

彼によれば東大生のヒエラルキーは、3段階に分けられる。「一番上はもう天才というしかない、ずば抜けて優秀な学生です。こうした学生は10人に1人いるかいないか。真ん中はその天才たちと仲良くしていて、試験期間になると天才に試験対策を教えてもらい単位を集める要領のいい奴ら。東大内に知り合いの多い、毎年多数の東大合格出身者を出すような名門校出身に多い。そしてヒエラルキーの最下層が、学力も高くなく、要領も良くない学生。僕のようなタイプです。親や教師に半ば強制的に勉強させられ身の丈に合わない東大に入ってもいいことはありません」

そもそも東大とは、努力して入る価値のある大学なのだろうか。肝心の講義内容がどのようなものなのか、一般には知られていないが、理学部の3年生からは泣き言が聞こえてくる。「数学が難解すぎる。例えば微分は微分でも、非線形微分方程式など、先端的な数学を扱うため、十分な参考書も揃っていなくて、ついていけない人がどんどん増える。1年の秋ごろから、脱落者が出始めて、今ではどの数学のどのクラスも完全に理解できている学生は1割に満たない状態になっている。それでも補習のようなことは一切しないですし、進行ペースを落とす気配も全くない」先端のテーマを取り扱う精神は良いが、さすがに1割程度しか理解していない状態というのはいかがなものか。

『もう「東大話法」にはだまされない』の著者で、東京大学教授の安富氏は、「そもそも東大に集まっている学生が優秀という前提がおかし」と言う。「入学試験は、ある方向の能力だけを計っているにすぎず、人間としての知性とはさほど関係がありません。人間の能力はもっと複雑で多様なものです。東大生、東大出身者に代表される知識人の特徴は、自分の考えがないこと。考えがないからどんな考えでも「理解」できる。これが問題に合わせて答えを短時間で導き出さなければならない受験には有利に働きます。本当に理解しようとする人は試験が不得意。アインシュタインは一度受験に失敗しています。東大に入ったら、今度は3年の学部を決定する、進学振り分けの競争が待っている。東大生同士がしのぎを削る最期の修羅場です」

博士になっても未来がない

つまり、東大生は、大学2年まで受験勉強を続けることになる。安富氏が続ける。「学問とは主体的に行なうものであり、自分の知りたいことを追及するものです。ところが、今のカリキュラムではそれぞれの先生が持っている価値観などを片っ端から理解しないといけない。その結果、いかなる意見でもいかなる考えでも理解したふりをするようになる。本当は理解していないのに返事ができる。これにて『東大生』の完成です。ところが、この性質は答えがない場合は全く使いものにならない。近年『東大生が使えない』と言われるのはこのせいです」

東大生は確かに、徐々に社会から必要とされなくなりつつある。『高学歴ワーキングプア』などの著書がある環境心理学者・水月氏は、東大大学院の暗さについて言う。「かって博士課程に進むことは、それだけで一つのステータスでしたが、完全に過去の話。たとえ博士号を取得できてもその先に就職口はない。『末は博士がホームレスか』という状況です。院生は増える一方なのに、大学のポストは増えないからです。東大が公表している博士の就職率は、ここ10年、40%台で推移して来ました。これは非常勤講師などの任期付き雇用も含めた数字なので、いわゆる正社員としての就職率となると、実質2〜3割でしょう」

一般企業の入社試験でも、東大生が無条件に歓迎される時代は終わっている。就活に2年連続で失敗した文学部卒の男性(25歳)のケースはこうだ。「1年目は20社程度、就職浪人した2年目は50〜60社ほど受けましたが、すべて落ちました。メーカーやITを中心にとくに職種業態を選ばず有名な企業ばかりを回っていました。いわゆる大企業病というやつです」大企業病とは、親や地元の期待を背負って東大に入っているからには、聞いたことがないような会社には入れない、という東大生にはよく見られる就活傾向を指す。

『論争・東大崩壊』などの著書がある京都大学名誉教授。竹内洋氏がその原因を解説する。「東大生は、長年受験勉強という個人プレーを続けて成功を収めてきたために、人に合わせるという発想がない人が多い。協調という、昔ながらの日本の美徳を持ち合わせていないのです。そうした東大生はもはや、日本人というよりは『東大人』という別の人種だと考えたほうがいいかもしれません」ただ面白いのは、こうした”できない東大生”に限って、学歴を鼻にかける傾向にあることです。東大という名に見合う能力がないからこそ、自分のプライドを支えるものが東大しかなくなってしまうのでしょう」

かくして東大卒は自ずから孤立し、企業の中で嫌われていく。東大卒が社会で好まれないのは、協調性の欠如と高すぎるプライド、そしてもう一つが、まわりへの要求が高く、みんなに煙たがれること。人を育てるのではなく、人にスゴイと思われたいだけ。東大卒のそうした社員は、いずれ管理職としては「失格」の烙印を押されることになる。東大生の最大の弱点はその「均質性」にある。世の中も人生もいろいろ。その心理に近づけない東大生には、社会に出ると必ず不幸が待っている。



『週刊現代』3.23


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