加藤のメモ的日記
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戦前のNHKが実質的に国営放送であったことは、誰も否定できない。また、戦後、占領軍の放送の民主化政策によって生まれ変わったはずのNHKが、NHK会長人事や受診料の値上げなどで、政治に経営の首根っこを押さえられ、報道機関として主体性を欠く経営を続けてきたことも事実だ。NHKは政治に翻弄されてきた自らの歴史を、視聴者から隠すことによって「公共放送」の看板を守ってきた。NHKに介入した政治の力、NHK会長の選考に関わる政治の影響力、権力に都合の悪い問題を取り上げない報道姿勢、これらはNHKの放送史に取り上げられることはなかった。
「放送機関は権威筋とトラブルを起こさないということで、褒められようと望むべきではない。普遍不党性とは、放送機関を批判から守る盾ではなく、未来を開く鍵なのだ」これはイギリスで「放送の将来を考える委員会」の委員長を務めたことのある、ロンドン大学副学長、ノエル・アナンの放送文化基金の記念講演(1981年、東京)の一節である。放送機関と時の政府との間に緊張が存在するのは当然のことであり、報道が筋を曲げずに政治の圧力に対処する場合の、味わい深い言葉である。本書ではNHKと政治の関係の歴史を、三つの部分に分け、NHKが触れることを避けてきた、いわば「知られざるNHKの政治史」を綴る。
国策と公共放送―NHKとBBC
放送、なかでも公共放送の民放と異なるところは、国策への協力の度合いが著しいところにある。国営放送と違い、国民の受信料によって運営される放送でありながら、政府はNHKを政府機関であるかのように扱い、NHK側にも戦前の意識を引きずったままで、国策には無批判に従う風潮が残っていた。国策への協力といえば、アメリカの北ベトナムの空からの爆撃、北爆を支持する佐藤内閣に協力するためNHKは前田会長時代、ベトナム向けの国際放送の時間枠を拡大し、日本政府の宣伝に一役買った。
当時北爆には国際世論も否定的で、アメリカのベトナム戦争に対する批判が強まっていた。国内でもベトナム反戦運動が盛り上がり、佐藤内閣の北爆支持に抗議する集会も煩雑に開かれ、べ平連という名の市民運動が広がっていた。しかしNHKの国際放送は、もっぱら佐藤政権の北爆支持の方針をベトナムの市民に向けてPRし、さらにこの時間枠を増やしたのである。
戦争とか外交上の争いに関しては、とかく時の政権の方針が国策として押しつけられ、それを批判することは国益に反するとされる。日本では第二次大戦の際、戦意高揚に国民を駆り立てたNHKや新聞の報道の事例が記憶に新しいが、戦後の新発足にあたって過去の戦争協力に対する責任を明確にしなっかったNHKは、ベトナム戦争で再び同じ誤りを犯したといえる。NHKのこうした国営放送的な報道姿勢は、民放との差を次第にはっきりさせ、国民の信頼を失っていった。しかし同じ公共放送でもイギリスのBBCは、自分の国が直接当事者になった戦争でも、政府の方針に同調することなくジャーナリズムの立場を貫いた。
NKはその公共放送の仕組みの「範」をイギリスのBBCに取っている。従ってこの両者の間には、極めて似通った構造があり、公共放送について国民の評価や期待にも同じような面があるのは否定できない。ただ両者の間で決定的に違うのは、政治権力に対するジャーナリズムとしての見識であり、節目ごとに権力と戦う姿勢である。それは民間の事業からスタートして、公共事業に転換したBBCと社団法人といいながら実態的には国営事業と変わらないNHKの、出自の差から生まれる伝統、ジャーナリズムを育てた風土にも関係するのかもしれない。
イギリスでは第二次大戦後、1956年のスエズ運河の国有化に伴う危機、1982年のフォークランド戦争の二度にわたって、対外危機を経験した。このときBBCは報道機関として、時の政権に必ずしも同調しない自主独立の放送を行ない、政府と険悪な関係に陥った。スエズ危機では、イギリス軍のエジプトへの上陸に反対する側の意見も放送し、政府のせめて国際放送には取り上げないようにという要請を拒否し、放送を海外にも流した。
またフォークランド紛争に際しては、イギリス軍の被害状況も克明に放送し、国民の士気に影響するとして政府から激しいクレームを受けた。政府はBBCが侵略者アルゼンチンとイギリスを同等に扱う誤りを犯している、国家の利益に合致した報道をせよと迫ったが、それでもBBCは動じなかった。BBCは、報道番組の責任者が「イギリス軍の士気を高揚させたり、国民を国旗の下に結集させることがBBCの役割ではない」「BBCは政府から愛国心についてレッスンを受ける必要はない」と述べ、報道機関としての見識を示した。
またBBCの経営委員会はNHKの経営委員会よりも、より政治色の強い官職といわれるが、それでもハワード委員長は「BBCはイギリスと侵略者の間で中立を守るわけではないが、ニュース報道の基準は、何が起こっているかを視聴者が理解するのに役立つかどうかである」とBBCの報道を擁護した。さらにイアン・トレサウン会長は「イギリスの民主主義とアルゼンチンの独裁体制との違いの一つは、わが国民が真実の語られるのを望み、いかに真実が不快なものであってもありのままを聞くことができることである」と言い切っている。
戦争という国家にとって最もシビアな状況の中で、政府や与党から罵詈雑言を浴びながら、怯まずにジャーナリズムのあるべき姿を説き、かつ実践したBBCの気概こそが、公共放送を支えているのだともいえる。そして、これは現場、会長、経営委員会とBBCのすべての一致した見解であったことに重みがある。日本のNHKの場合との差は歴然としている。前田会長の時代は、日本が佐藤首相のもとで逆コースから新国家主義を目指した時代であり、このときからNHKのテレビは日の丸で始まり、放送終了時には日の丸がはためく中で「君が代」を毎日聞かせるようになった。
またNHKは吉田首相の国葬、明治100年の記念式典、大阪万博、沖縄返還協定の日米テレビ中継調印など、国家的なイベントに積極的に関わっていった。1970年の『暮らしの手帳』(春号)はNHKニュースを、事実を曲げて報道する「御用放送」と断じ、困った番組にあげた。NHKの組合、日放労がこの年行なった組合員の調査で、NHKの報道は真実を正しく伝えているかという問いに、40%が「NO]と答え、NHKを政府の御用機関だと思うかという問いに対し、60%が「YES]と答えていることからも、『暮らしの手帳』の評価は正確であったといえる。前田長期政権のもとでNHKの報道が次第に蝕まれていったことを、視聴者は的確に見抜いていた。
『NHKと政治』
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