加藤のメモ的日記
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生物のからだは無駄なく非常に合理的にできているので、この生殖細胞の無駄には何か意味があるのであろうかと考えたくなる。この無駄は不良な生殖細胞を選別して捨てているのではないかという考えが浮かぶ。どのようなものかはよくわからないが、おそらくここに細胞の選別の機構が備わっているのであろう。生殖細胞は体細胞の半数の染色体を持っている。受精卵は体細胞と同じ数の染色体をもつので、生殖細胞は卵や精子をつくる過程で、減数分裂という特殊な分裂過程を経なけれならない。
減数分裂の過程では、染色体の数が半減するとともに、卵から来た染色体と精子から来た染色体が絡まり合ってDNAを交換することがわかっている。このDNAの交換は傷ついたDNAを排除して健全な生殖細胞を残す働きをしているのではないだろうか。受精のときには、いろいろな障害を乗り越えて卵にたとりついた精子のうち10個ほどが卵の膜を破る。そして、実際に卵の中に入るのはただ1個の精子である。授精にたどりつく精子は5億倍の競争を突破したものであることになる。さらに受精後も流産というかたちで環境に適さない胎児は死んでしまう。
生殖細胞にはこのように何段階もの選別機構があるように思われる。たくさんつくっておいて、DNAに傷がついたり、機能の劣る精子などを排除しているようである。しかし、選別や排除の機構についてはまだほとんど何もわかっていない。このようにたくさんつくっておいて、より環境に適したものを選別していくというのは、細菌などの単細胞生物が通常取っている方法である。細菌などの単細胞生物は二つに分裂して増え、環境に適さないものは死ぬし、環境に適したものは増えていくというやり方で健全な生命世界を保っている。
多細胞生物では、生殖細胞がこの方法で選別されているようであるが、体細胞ではこのようなたくさんつくって良いものだけを残すという方法はとれない。例えば肝臓の細胞を必要な細胞の5億倍もつくるということは到底不可能である。では、人間のように複雑になってしまった生物はどのようにして体細胞の品質を管理しているのであろうか。身体の中には免疫系があり、免疫担当細胞が監視して、癌化した細胞などは殺して食べてしまう。それでも監視を免れた細胞が増えて、60歳を過ぎると4人に1人は癌で死ぬと言われている。
このように多細胞生物の中にも免疫機能やその他の監視機構があるが、生殖細胞のように派手にたくさんつくって捨てるわけにはいかない。そこで、多細胞生物では寿命をもうけて、ある年数生きたものは殺してしまうという方法がとられているのであろう。生物によっては老化を経ないで死ぬものも多いので、老化の行き着く先が死であるとは限らない。しかし、人間を含めた多くの動物は死ぬように運命づけられて生まれてくるのである。多細胞生物の細胞一つひとつも40億年の歴史を持つ生殖細胞からつくられる。私たちは40億年の歴史を背負って生まれてくる。しかも必ず死ぬ運命を担っていることを思うと、私自身の重みと生命世界の残酷さに不思議な感慨を抱くのである。
西暦2000年という年に、この地球上に人間として生きている。その偶然に、私は自然に笑みがこぼれるような喜びを感じている。
私が羊歯(しだ)だったころ降っていた 雨かも知れぬ今日降る雨は
外を眺めていると、急に雨足が強くなった。滝のように降る雨に、私は一瞬、自分がシダだったときに、こんな雨が降っていたとう幻想に引き込まれていった。 科学では許されない非現実的なイマジネイションを含まらせることに文学は寛容だ。私たちの寿命である100年や、1000年と比べて、脊椎動物が出現した5億年前、さらに生命の起源の36億年前は想像を絶する時間である。最初の生命の糸(DNA)は、熱湯の噴き出す海の中で生まれたのではないかと考えられている。その糸は卵と精子に取り込まれ、正確にコピーされて、次の代に伝達される。しかし、遺伝情報は伝達される前に少しずつ変化していく。その中から環境に適したものが生き残って進化が起こる。
動植物の共通の祖先は、今から12億年前に出現したと考えられている。やがて、動物と植物がわかれた。ここで私は植物になる可能性を失って、ひたすら動物の道を歩んできたのである。生物の進化を研究する分野では、生命が誕生してから現在までの期間を、いくつかに区切って表現している。その一つであるカンブリア紀には三葉虫をはじめ、いろいろな形の動物が出現した。カンブリア紀とそれに続くオルドビス紀に、現存するほとんどすべての動物群が出そろった。カンブリア紀は今から6億年前から5億年前までの1億年の期間であり、それに続くオルドビス紀は、4億8000万年前から6000万年前の期間である。ちょうどこの頃に出現した動物は、ミミズなどの環形動物、ハチなどの昆虫、貝などの軟体動物、ウニなどの棘皮動物である。
時 間
歳を取るほど一日が短くなっていくことは、多くの人が感じていることである。80歳を過ぎた父は一日が短すぎて新聞を読む暇がないとよくこぼしていた。私たちも子供のころは時間がゆっくりと過ぎた。一日が長かった。動物の心臓が打つ数と寿命の間には相関関係があって、だいたい心臓が20億回打つとその動物の一生は終わりになる。もし、人間の寿命を100年として、ハツカネズミの寿命を5年とすると、ハツカネズミは、人間の20倍の速さで時間が過ぎることになる。とすると、ハツカネズミは、日の出から日の出までの時間を、人間の20日にあたる長さに感じていることになる。20日を1日と感じるとすると、ハツカネズミは、何と長い一日を過ごしているのであろう。
『生命の暗号』
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