加藤のメモ的日記
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| 2012年10月28日(日) |
サムシング・グレート |
生命科学の研究は、今素晴らしい勢いで進んでいます。人間は自分の体の設計図を解読する技術を手にしたのです。この遺伝子解読で生命の謎が解けると期待されたのですが、その解読が進むにつれ、話はそう簡単ではないこともわかりつつあります。そもそも、たった一つの細胞のことも、極めれば極めるほど深く、決して簡単ではありません。私のライフワークである高血圧の発病に深く関係する酵素・ホルモンと、その遺伝子の研究の一つをとってみても、100年近くも膨大な研究がなされているにもかかわらず、わからない点がまだ多く残されています。
生命の仕組みは全く驚くほど不思議なことばかりです。人は「生きる」などと簡単にいいますが、自分の力だけで生きている人は、地球上に1人もいません。呼吸にしても、血液循環にしても、私たちが自分で工夫して働かせているのではなく、ホルモン系・自律神経系などが、自動的に活躍しているからこそ私たちは生きているのです。このホルモン系・自律神経系の活躍を支配しているのが遺伝子ですが、それでは遺伝子を操っているのはいったいなんでしょうか。
それぞれの遺伝子は、見事な調和のもとで働いています。ある遺伝子が働きだすと、ほかの遺伝子はそれを知って仕事の手を休めたり、いっそう作業のピッチを上げたりすることで、実にうまく全体の働きを調整しています。このような見事な調整が、、たまたま偶然にできたとはとても思えません。この見事な調整を可能にしているものの存在を、私は10年ほど前から「サムシング・グレート(偉大なる何者か)」と呼んでいます。この正体は、もちろん目には見えず、感じることもなかなかできませんが、その存在はあるに違いないと、生命科学の現場で私は実感するのです。
「ホワッツ・ニュー(何か新しい発見は?)」と、絶えず問うのが科学者の挨拶です。これは科学が進歩することを宿命づけられている側面を示しています。人間は、知らないことを知りたい、わからないことを理解したいという本性があり、これがなくならない限り、科学の進歩は止まりません。そして、とくに生命科学の場合、新しい発見がすぐに技術に結び付き、家畜の改良や医薬に影響を与えます。すなわち、科学・技術が人間の欲望を満たす手段にすぐに利用されるようになるのです。そうなると、人間が欲望をコントロールする術を身につけない限り、科学は両刃の剣となります。
クローン人間の論議で問題となるのは、技術そのものよりも人間の欲望です。たとえば、自分のコピーのようなものを残したいという個人の欲求の実現を、どこまで尊重すべきなのか。これらのことを可能にするのは科学・技術ですが、それを行なおうと決断するのは人間であり、人間の欲望に基づいています。この決断の時、人間を含めたすべての生物の「命(いのち)」は人間の工夫や知恵でつくられたものではなく、「サムシング・グレート」からの贈り物であることを思い出す必要があると思います。そんなに思いあがってはいけない、と私はいいたいのです。
私たちは、技術的には可能であるが、あまりにも不自然なことはやらないという自制心を持つ必要があります。しかしこの自制心は、たんに倫理的な面からだけでは不十分です。私たちは、自分の力や工夫だけで生きているのではなく、自分を支えてくれているさまざまなもののおかげで生きているという事実を知ることにより、本当の自制心が生まれるのではないでしょうか。そしてそれに感謝して生きることにより、今まで眠っていた遺伝子がONとなり、素晴らしい人生が開けるのだと思っています。
高血圧に関係しているレニンという酵素が見つかって114年になります。気の遠くなるほどの長い年月を、先輩たちがレニンに取り組んできたわけです。そんな成果をこの時期に、私がまとめることができるのも何かの縁、それこそ「サムシング・グレート」の存在を感じるところでもあります。
コンピューターの発達で遺伝子の解読が容易になり、今世界中でヒト遺伝子の暗号解読が進められ、21世紀の早い段階でその全容が明らかになると思われますが、それとは別に、私たち科学者が知りたいと思っていることが一つあります。それは、いったい誰がこんなすごい遺伝子の暗号を書いたのか、ということです。また先に述べたDNAの構造一つとっても、科学の文字がそれぞれ対になってきちんと並んでいる。ちょっと普通には信じられない不思議でもあるのです。遺伝子の暗号は、人間自身には書けるはずがないのは初めからわかっています。では自然にできあがったのでしょうか。生命のもとになる素材は自然界にいくらでも存在しています。しかし材料がいくらあっても自然に生命ができたとはとても思えません。
もしそんなことができるのなら、車の部品を一式揃えておけば、自然に自動車が組み立てられることになる。そんなことは起きるはずはありません。ここはどうしても、人間を超えた何か大きな存在を意識せざるを得なくなってきます。私自身は人間を超えた存在のことを、ここ十数年来「サムシンググレート」(偉大なる何者か)と呼んでいます。それがどんな存在なのか具体的なことは私にもわかりませんが、そういう存在や働きを想定しないと、小さな細胞の中に膨大な生命の設計図を持ち、これだけ精妙な働きをする生命の世界を当然のこととして受け入れにくいのです。
さらに私はこんなことも考えます。人間は自然に挑戦するとか、自然を克服するとか、いろいろ勇ましいことを言っているけれど、大自然の不思議な力で生かされているという側面も忘れてはいけないのではないか。また、私たちは「子供をつくる」ことを簡単に考えていますが、これもずいぶん不遜なことかもしれません。子供に関して私たちにできることといったら、生命が生まれるきっかけを与えること、生まれてから栄養を与えることぐらいで、あとは精巧に仕組まれた生命原理が働くことによって自然に育てられているからです。
近年、生命科学が長足の進歩をとげ、生命の謎が少しずつ解き明かされるところまできているのは事実です。しかし、ノーベル賞学者が束になってかかっても大腸菌ひとつ作れない。これから先、もっと科学が進歩すればつくれるようになるでしょうか。私はそれでも生命そのものをゼロからつくることは極めて難しいと思っています。
『生命の暗号』
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