加藤のメモ的日記
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2012年09月14日(金) 植村直己

5大陵最高峰登頂 マッキンリー単独登頂

ジャガイモみたいな顔をしていた。朴訥で口べた、優しい瞳に野生の光をたたえ……。植村直己こそ元祖・山男、ミスター冒険家のイメージそのものだ。兵庫の農家の末っ子に生まれ、干支の巳から直己と名づけられる。なるほど、蛇みたいに地べたを這う執念深い男に育った。高校で登山を始め、明治大学農学部に入学、山岳部ではドングリと呼ばれた。しょっちゅうコロコロ転ぶ。けど転んでも何度も立ち上がる。植村直己の人生は失敗と転落。不屈の闘志で数知れぬ復活の歴史だ。

大卒後、就職試験に失敗した。しかし登山への夢は諦めきれず、とび職のバイトで金を貯め、横浜港から移民船でロサンゼルスへ。が、不法就労で逮捕。強制送還寸前でフランスへと渡る。シャモニーでモンブラン単独登頂を目指すも、クレバスに転落。モルジヌのスキー場で五輪滑降金メダリスト・ヴェアルネに雇われ、次への資金を稼ぐ。

1965年。明大の登山隊に途中参加してゴジュンバ・カン登頂に成功した。その後、黄疸に倒れる。が、、復帰して66年7月にモンブラン、続いてマッターホルン、10月にはアフリカ最高峰のキリマンジャロの単独登頂を果たす。‘68年、南米最高峰のアコンガグアを制覇して、アマゾン川をいかだで下り、北米最高峰のアラスカのマッキンリーを目指すも許可が下りず、帰国。

日本山岳会の一員として、エベレスト登山隊に参加、登頂に成功する。再び、マッキンリーに挑む。ついに単独初登頂を成功させた。1970年8月30日のこと。世界初の五大陸最高峰登頂者となる偉業を達成した。かってのドングリ男は人生の頂点に立ったのだ。植村直己を支えたもの、それは並外れた体力だ。先のエベレスト登山隊も自己資金が用意できなかったが、抜群の体力を買われ荷揚げ要員として参加した。

植村が頂点を極めたのも、姿を消したのもマッキンリーだ。同山で世界初の厳冬期単独登頂を果たしたのは1984年2月12日、43歳の誕生日。翌日、交信が途絶える。消息不明のまま国民栄誉賞を受賞した。


『週刊現代』9/8




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