加藤のメモ的日記
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私はこれまで、小さな医療施設から大学病院まで、臨床医としてさまざまな場所で働いてきました。一刻を争う救命医療から、最期が近い患者さんを穏やかに見送るための緩和医療まで、人が亡くなる現場に、数えきれないほど立ち会っています。その中で次第に、科学では解明できない現象について、関心を深めていきました。とくに生命とは何かという問題について、思索を深めた結果、今では、寿命が来れば肉体が朽ち果てるが、霊魂は生き続ける。その意味で人は死なない、と考えるに至りました。
人間の本質は、肉体から独立した非物質的なものです。肉体をまとっていれば、それは「魂」と呼ばれ、肉体から抜け出した、つまり他界した後は「霊」と呼ばれるのです。死後の世界や霊性の領域があることを示す例は、実は数多くあります。私は古今東西の文献を読んだだけでなく、実際に体外離脱や臨死体験をした人たちに会って話を聞きました。
交通事故で重傷を負い、肉体が危機に瀕した時、意識が体外離脱した人がいます。気がついたら、10メートルくらい上から、メチャクチャになった事後現場と傷だらけで倒れている自分の身体を見ていたというのです。また、臨死状態におちいった人はその間、安らぎや開放感を覚えたり、強烈な光を感じたり、急速に天空へ駆け上がるような感覚を経験するそうです。
実は臨床医にとって、臨死体験を含め、患者さんに関連した超常現象に出くわすことは珍しくありません。医師が自宅に寝ている枕元に患者さんが現れ、「どうもありがとうございました」とお礼を言った。まさにその時刻に、その患者さんが病院で亡くなっていた、といった出来事などもあります。
私も何度かそのような経験をしましたが、なかでも忘れ難いのは他界した母のことです。亡くなった母の霊と、私は2年前、会話することができたのです。こう語るのは、東大病院救急部、集中治療部の矢作教授(55歳)。生と死が交差する臨床の現場を知り尽くした専門家である。母は‘07年5月、独居していたアパートで亡くなりました。安否確認のためアパートを訪ねた弟が、浴槽で亡くなっている母を発見したのです。
その2年後の‘09年3月、強い霊能力を持つAさんという60代の知人女性から連絡があり、「お母様が矢作さんと話したがっていますが、どうしますか」と尋ねられました。私は迷いましたが、日を決めてAさんに霊媒になってもらい、母と交信することになりました。その日、交霊が始まると、Aさんは突然母の口調になって、私に心配をかけたことを詫びてきました。
私はびっくりしましたが、「元気でやっています。心配はいりませんよ」と答えました。その後「お母さんはどうして亡くなったの?」「心臓発作らしいの」「お祖父さんに会った?」「会ったわ」といったさまざまな会話をしました。このとき、母は確かにその場にいました。長い時間ではありませんでしたが、圧倒的な体験でした。
死後の世界を具体的に意識し始めたのは、高校時代に読んだ本がきっかけです。死んだ少女がピアノを使って母親と交信する様子を描いた本で、「この世は他の世界の投影だ」とわかりやすく説明してたのが強く印象に残っています。なんでも「ある」ことを証明するのは簡単ですが、「ない」ことの証明は困難です。霊性や死後の世界に否定的な人も、それが「ない」ことは証明できないので反論しにくいのでしょうか。現代人にとって、「人は必ず死ぬけれども、死は終わりではなく、魂は生き続ける」と考えることは、救いにもなるはずです。死は未体験の世界ですが、無意味に恐れるべきではありません。
医学に限らず科学全般にいえますが、世界について科学で解明できていることはごくわずかにすぎません。科学は自然現象や生命現象をいくつものパーツに分解して理解しようとします。そのやり方には有効性があったし、だからこそ現代の医学や科学はここまで進歩してきました。ただしその反面、科学は現象を全体的に捉えることが苦手です。また科学は、自然現象や生命現象が「どのように」起こっているかを説明できても、それが「なぜ」起きているかは説明できません。
なぜ生命があるのか。なぜ生態の異なる多様な生物が存在しているのか…。そういう根源的な疑問に科学では答えられません。つまり、科学は物事の一つの見方にすぎず、別に万能ではないのです。結局、この宇宙のあらゆることは、人間の知恵を超えた巨大な力で動いているのだと思います。先に述べた、若いころ遭難しかかった私に、山の方から「もう山に来るな」とこだまのような声が私に命じたのと同じ、おおいなる意志の力です。この力を私は「摂理」と呼んでいます。摂理は万物の動きを司るもので、人間を含むすべての生物は、これによって生かされています。つまり摂理は「神」と言い換えることもできるでしょう。
人間の一生は、長い長い宇宙の歴史からみれば、一瞬の夢のようなものです。しかし摂理を忘れず、「人は永遠に死なない」と思えば、勇気を持って人生を送り、穏やかな最期を迎えることができます。その間、先に他界した人の霊と、すぐそこで出くわすかもしれません。
『週刊現代』10/29
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