加藤のメモ的日記
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2011年12月11日(日) 70過ぎたらがんは放っておけ

抗ガン剤治療にも脱毛や白血球の現象などの副作用があるが、とくに顕著なのが吐き気による食欲減退だ。味覚がなくなることもある。「何を食べても砂を噛むようで、食事の楽しみが全くなくなった。という患者は多い。一般的に体に優しいといわれる放射線治療にも副作用はある。主なものは倦怠感や皮膚の変化だが、照射される範囲内に胃や腸が含まれる場合、半年から一年後に消化管出血が起きることもある。これらの副作用が、高齢者にとってかなりの肉体的負担となるのは明らかだ。                

さらにこんなリスクもある。「基礎体力の低い高齢者の場合、治療のため2週間ほど病院のベッドに寝ていただけで、筋力が低下してしまい、自立歩行が困難になってしまう場合があるんです。難しい手術が成功しガンんは消えても、患者さんは要介護の体になってしまい、あげくごえん性肺炎を起こして死亡ということにもなりかねない。ですから高齢者のガン患者の場合、ガンの増殖力と本人の体力や寿命のバランスをよく考えた治療が必要になってくる。場合によっては、リスクを冒して完治を目指すのではなく、ガンを残したままで生活の質・クオリティーライフの高い余生を選択したほうが、本人にとって幸せだ、というケースも出てくるはずです」

治療を拒否した場合、もっとも気になるのは「ガンの痛み」だが、それも心配する必要はない。最近はガンの痛みを和らげる緩和ケアの技術が長足の進歩を遂げているため、放っておいても苦しい思いをすることはほとんどないという。痛み止めの薬の種類が増え、患者の痛みの度合いによって使う薬の選択肢が増えたことで、ガンで感じる痛みは、かなり改善ができるようになっている。一方で医療者側の意識も大きく変わった。かっては”最後の手段”と言われた、モルヒネなどを、ガンの初期段階から積極的に使い、患者の痛みを和らげようという姿勢が強くなってきたのだ。

検査もしなくていい

また、ガンの種類によっては、治療どころか緩和ケアさえしなくても、長生きできるものがある。それが「前立腺がん」だ。東京厚生年金病院の赤倉医師が言う。「ガン以外の原因で亡くなった人を調べたところ、70〜80代の人の場合、3〜4割が前立腺ガンを持っていたことが分かったんです。つまり、前立腺ガンを患っていても、生前に何の症状も出ないまま天寿を全うした老人が3分の1もいたんです。もちろんガンの悪性度は個人差がありますが、前立腺ガンの進行は基本的に遅く、ガンが前立腺内に生まれても、5〜10年くらい何も悪さをしないことが多い。そのため、高齢者の前立腺ガン患者には、副作用の出る治療はなるべくせず、経過観察をしていくという選択肢がだいぶ前から推奨されています。

血液から前立腺がんのリスクを調べるPSA検査にしても、50代では必要ですが、長い期間、定期的に検査をして異常がない人の場合、75歳になったら検査を卒業してもいいと私は考えています。実際に、アメリカでも75歳以上のPSA検査は推奨しないという動きもあるんです」

もちろん、すべてのガンが放っておいていいわけではない。「肺ガンの場合は、高齢になっても進行は早く、発見した時はすでに手遅れのことも少なくないですが、治療できる段階であればするべきだといえるでしょう」例外はあるものの、高齢者のガンは、より柔軟に対応したほうが結局本人のためになるといえそうだ。

好物も好きなだけ食べる


「私は『70歳になったら、ガンは放っておけ』と言いましたが、すべての70歳以上に治療をやめろ、と言っているわけではありません。これは哲学的問題ですから、ガンについては、治療したい人はすればいいんです。ただし私は治療しません。うちの病院では人間ドッグをやっていますから、早期発見はできるでしょうが、100%見逃さないかといえばそうもいえないし、気づいたら転移してることだってあるでしょう。そうなった場合は、すぐに家に帰って、元気なうちに美味しいものを食べて過ごしたほうがよっぽどいいですよ」10年ほど前まで本業の傍ら、精力的に健康に関する執筆活動や講演を行なってきた松本氏。だが、70歳になったのを機に執筆をやめ、公演も減らしたという。

「これまでに何千人もの死に立ち会ってきて、結局、人間というのは死ぬんだ、ということが身に沁みてわかったからなんです。”生老病死”とはよくいったもんだと、しみじみ思いましたね。60代までの私は、理想の健康法を探すのに必死でしたが、人間すべて死に至る、ということがわかってしまうと、食事はバランスよくとか、酒は飲むなとか、生きがいをもてとか、そんなご宣託はどうでもよくなってしまった。『医者の不養生』という言葉がありますが、あれは真実をついています。身近で死をみる機会の多い医者だからこそ、自分が『養生』をすることがバカバカしくなってしまう。確かに若いうちは健康に留意するのはいいことですよ。でも、70歳を過ぎてからのジョギングにそれほどの意味はありません。好きな人はいいけれど、苦手な人が無理やり始めても、ストレスになるだけで大した変化はないんです」

病気を恐れ、健康を気にするあまり、残り少ない人生でさまざまな”欲”を制御するのは、結果的に余生を生きる楽しみを減らすだけだ、と松本氏はいうのだ。「70歳過ぎたら、食べ物だって、そんなにこだわる必要はないんです。私もお酒を毎日飲んでいますが、知人の98歳の学者は朝からウナギを食べ、夜はワインとともにキャビアやステーキを食べるような毎日を送っていた。年をとっても、そういう生活を送れるなら、いつガンになってもいいと思いますね。ところが、今の若い医者というのは、患者に何かあったら自分は責任を負えないからとばかりに、患者の好物が大福だとわかっていても『糖分が高いからやめなさい、高血圧で倒れても知りませんよ』という。本当におかしい話だと思いますよ。お年寄りにとって酒や甘いものは数少ない楽しみであり、生きがいなんです。それを禁じられたら、何のために生きているのか、ということになってしまう。そもそも、人間には個人差があります。DNAも違えば育った環境も違う。経済力やキャリアも違っている。それなのに、誰にでも杓子定規に『健康のためには、ああしろ、こうしろ』なんて言えるわけがない。

さらに松本氏は、死ぬ時のことを考えることも大切だという。「私はこれまで総理経験者や財界の要人の最期に立ち会ったことが幾度もありますが、中には最後の最後まで治療を続けながら、『まだやることがある、死にたくない』と権力に執着しながら亡くなる人も少なくなかった。その一方で、ごく平凡な家庭の方で、大勢の孫に囲まれて、幸せそうに息を引き取ったお婆ちゃんも看取ってきました。要は、人が死ぬ時は権力も財力も関係ないし、人より長く生きたからって、それが偉いというわけでもない。穏やかな死と苦しみながらの死は、結局生をいかに楽しんだかによるのではないでしょうか」

70歳まで生きられただけでも充分。それ以降は、病気の治療に必死になるよりも、残された余生を楽しく生きることを考える。医学の進歩は、そんなもう一つの選択肢を私たちに示してくれているのだ。



『週刊現代』 12/11


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