加藤のメモ的日記
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2011年10月09日(日) 『紅梅』(こうばい)

潔く死を迎えた夫の、最後の日々を小説へと昇華した、静謐かつ力強い傑作

あるインタビューで語っていることだが、吉村昭が亡くなってから、妻で作家の津村節子は小説を書けないでいた。闘病の末に、生命維持装置をひきむしって自ら死を選んだ夫のことを思うたびに、十全に看病できなかった悔いもあった。そんな自分の姿を”育子”という女性に託して、吉村の死後出かけた四国の霊場巡りを描いたのが短編集『遍路みち』(講談社)で、これにより、夫との最期の日々を見つめなおすことができた。その成果が『紅梅』である。この私小説でも”育子”の視点から夫の最晩年が活写される。

最初に見つかったのは舌癌だった。やがてすい臓癌も見つかり、一進一退を繰り返し、夫は徐々に衰弱していく。闘病は家族以外誰にも語られず、一時的に体調を崩している風に伝えるだけだったが、70代後半の夫婦には親戚、友人、知人たちの訃報が次々に届き、あらためて目前に迫る死を凝視しようとする。

若い時に結核の手術で肋骨を数本切除した際に、七転八倒の死の痛みを経験した者でも痛がる癌の治療の難しさから、吉村・津村の文学修業と夫婦生活の歴史(吉村は津村の作品を一切読まなかった)、丹羽文雄や城山三郎との交流、芸術院文芸部の部長として天皇・皇后両陛下にご挨拶されていた挿話(吉村のユーモア精神がうかえる)など様々な話が次々に紹介される。

その中でも長年にわたる文学への信仰と、避けがたい死を前にした行動が印象的だ。とくに後者の、妻が夫の遺書を発見するくだりは胸をうつ。城山三郎に律義な飲み方をしているといわれた吉村は、家では午後9時以前には飲まなかったが、まことに律義に密かに死の準備をし、潔く死を迎えたのである。

それが粛然と響くのは、有名作家の死という特殊な例ではなく、死とは何かを、見送った死者たちを回想しながら考え抜いているからだ。読者一人ひとりが、家族と自分の死のあり方を考えてしまう普遍性がある。いわば津村の『紅梅』は、吉村の『冷たい夏、暑い夏』だろう。肺癌に罹った妹を看取った体験を文学に結実させた吉村昭の傑作。叙事に徹した文体の強度とテーマ把握の強烈さは、吉村文学に比肩しうる見事さだ。



『週刊現代』


加藤  |MAIL