加藤のメモ的日記
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| 2011年04月03日(日) |
石原裕次郎も体験者 (22) |
ごく最近の文献で現体験者と記述者の距離がぐっと近いものがある。石原慎太郎の『わが人生の時』がそれである。わたしの仲間にもその川を見たという男がいる。結局は癌で死んだ議員の玉置和郎はその以前重症の糖尿病だったが、病気を甘く見て死にそこなった時、病院のベッドの上でやはりその川を見たという。
昏睡で見た夢の中に、天の川のようなほの白い帯のようなものを見たそうな。彼の夢の中に何度となく、以前死んだ彼を可愛がってくれた長兄の姿が現れてきた。病室の壁の前に立ったその兄が、しみじみ愛おしそうに、『和郎、そんなに苦しいなら兄さんと一緒に向こうへ行こう。兄さんが手を引いていやるよ』と招く。
その兄の後姿にはほの白い川のようなものがかかって見えた。何度も兄の差し出すその手にすがろうとしたが、なぜか最後はその気になれず、まだこちらにしなくてはならない用事が残っているのだと言い訳してベッドにとどまり続けたそうな。
『何が私を引き止めてくれたのかは知りませんが、あの時兄貴の手にすがってあの川のようなものの向こうに行っていたら、たぶんそれで終わりだったんでしょうな。白く光った帯のような川でしたが、自分がそのすぐ間近まで行ったことだけは覚えていますよ』彼は言っていた。私の弟も、その川のすぐ近くまで行って帰ってきたようだ。剥離性動脈瘤という、名前も初めて聞く厄介な病気の発作に見舞われ、彼は文字通り地獄の入口まで行って来た。
石原慎太郎の弟というのは、いうまでもなく、石原裕次郎である。裕次郎は、9時間に及ぶ大手術のあと、一命は取りとめたが、それから一週間にわたって意識は朦朧としたままだった。意識を取り戻した後、二人はこんなやりとりをした。
『ひどく痛がっていたそうだが、自分が痛かったこともよく覚えていないよ。要するに手術の後長い間、俺は半分眠っていたみたいなものなんだな。痛かったことより、意識が戻ったなと自分でわかるまで、いろいろな夢ばかり見ていた、ということだけは覚えているよ(中略)その中でも一つだけ、長い間にわたって何度も見た夢がある。今考えても妙な夢だった』『どんな?』『どこかの川の夢なんだ。川というより川原だな、何か時代劇のロケーションで、最初は馬に乗って、そのうちいつの間にかスタッフの連中と一緒にジープに乗って広い川原を走っているんだ』
いつまでたってもつかぬ段取りに業を煮やして、ジープを運転している誰かに命じて車で川を向こう岸へ突っ切らせようとするんだが、車がハンドルを切り返そうとするたび、なぜか他の誰かがそれを止めて車はまたもとのこちら岸へ戻ってきてしまう。そんな夢をきりなく見続けていたことだけはよく覚えていると言った。
『あれが三途の川というやつだったんだろうな。しかし。川原の石も、水も、ススキの穂もみんな眩しいように白く光って何かとても透明な、とにかく俺が今までどこで見た川よりも綺麗な川だったよ』
これなどは、かなり信頼できる報告だろう。しかしまだ、現体験者と記録者が別の人間という不満が残る。体験者の原体験そのものとその口頭での言語表現との間には通常深い落差がある。その落差がどれくらい大きいかは、その人の言語表現能力、記憶力、観察力、内省能力などにかかってくることだから一口には何とも言えない。
我々は何も見えていない
臨死体験とはそもそも何であるかという解釈をめぐって、死後の世界を垣間見た体験であるとする解釈もあれば、これは死を目前にした人の脳で起こる一種の幻覚にすぎないとする解釈もあります。大別するとこの二つの解釈があると思いますが、ケネスさんはどちらの立場なのですか。
「わたしはどちらの陣営にも属していません、私は臨死体験が死後の世界の存在を証明するものだとは思っていません。確かに、体験者の多くは、体験によって物質的な生命活動が終息した後も、何らかの形で生命が存続するのだということを確信するようになったと語っています。しかし、その証拠はあるか、それは証明されているかと問われれば、ノーという以外ありません。
しかし、また一方では、この現象はすべて純粋に生物科学的に説明がつけられることであって、そういう説明がつけば、すべて終わりということでもないと思っています。たしかに、人が死ぬ時、一連の生物科学的現象が次々に起こります。脳の機能は低下し、失われていきます。肉体のあらゆるシステムが機能を失い、解体していきます。
そのこと自体は疑いようがありません。私がいいたいのは肉体がそのような状態に陥った時に初めて見えてくる別の現実があるのではないかということです。人間が健康な状態にある時の日常的な目覚めた意識があると、それにおおい隠されていて見えない現実が、そのような状況下で初めて見えてくるということがあるのではないかということです。それはちょうど夜になると空に星が光っているのが見えてくるようなものです。星は昼間も出ているのに、昼間は見えません。太陽の強烈な光が星の微弱なまたたきを圧倒して見えなくしてしまうからです。しかし、太陽が沈み、他を圧倒する光がなくなると、全天に光り輝く無数の星が見えてきます。その時始めて我々に、宇宙の広がりが見えてきます。
昼間、太陽の光の下で我々に見えているのは、このちっぽけな地球という惑星のごく限られた一角だけです。昼間、我々は自分には何でも見えていると思っていますが、宇宙的スケールでいえば、実はほとんど何も見ていないのです。広大無辺な宇宙の広がりが見えてくるのは、太陽が沈んだ夜になってからです。それと同様に、日常的な意識が目覚めた状態にある時は、我々の認識は強烈な感覚入力に圧倒されて、本当は見えるはずの内的宇宙の広がりあ見えていないのです。肉体的死の接近とともに、それまで太陽のように輝いていた日常的な感覚能力、認識能力が姿を隠し、それによって初めて真の内的宇宙が見えてくるのです」
なるほど。しかし、その比喩が成立するためには、肉体が死んでも何らかの認識主体が存続すると考えなければなりません。それは何なのでしょう。そういうものがありうるのでしょうか。
「何かが存続するかもしれないし、何も存続しないかもしれない。存続という概念を使うこと自体が誤りなのかもしれない。存続という概念は時間にかかわる概念です。我々が生きているこの世界は時間的にも空間的にも限られた世界です。そこでは存続というような概念が成立しています。しかし、死、あるいは臨死状態の向こう側にある世界が永遠の世界だったとしたら、そこでは時間というものは存在しない。従って、存続というような時間を含む概念は意味を持ちません。体験者の話に『時間というものがない世界に入った』、『時間と空間を超越した世界だった』という表現がよく出てきます。そして、その世界にはいった途端、『すべての真理を把握した』、『すべての知識が獲得できた』、『我々が何のために生きているのか分かった』、『数年にわたって疑問に思っていたことがすべてわかった』ともいいます。
死の境界をこえるとそういう時空を超越した、人智を超越した世界に入るのであるとするなら、”存続”だの、”認識主体”だのといったこの世でのみ通用する概念は意味を失ってくるわけです。我々がこの世で使っている概念がみんな意味をなさなくなってくるような異次元の世界が向こうには広がっており、その中に入ると、我々も一気に時間を超越した存在になってしまうのだと考えれば、そういう疑問はなくなってくるでしょう」 P377
キュブラー・ロスは例えば、『続・死ぬ瞬間』では、次のように書いている。「死はこの生における成長の究極段階である。トータルな死というものはない。ただ肉体が死ぬだけなのだ。自己といい、霊というもの、その他あなたがどういう名前で呼ぼうとも、このものは永遠である。死はカーテンだ。我々が意識しているところの存在と、我々から隠れている存在とを仕切るカーテンである」
肉体は死んでも、霊魂は不滅であり、存在の次元を変えて永遠に生き続けるという、ギリシア哲学からキリスト教に受け継がれた古典的な霊魂不滅説がキュブラー・ロスの中で生き続けているのである。
『臨死体験 上』
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