加藤のメモ的日記
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2010年11月16日(火) 転落するデトロイト

いまだ米国は、金融危機から立ち直れないでいる。オバマ大統領が相次いで打ち出す「バラマキ」経済政策が全く効果を見せない中、多くの都市が瀕死の危機にあえぎ始めた。中でも「最も死に近い都市」といわれているのがかって自動車産業で栄えたデトロイトだ。デトロイトは今、かっての喧騒がうそのように荒れ果てています。街の中心部では、長い間テナントが入らず空き室だらけになったオフィスビル、操業停止で廃墟のようになった巨大工場が朽ち果てた姿をされしている。郊外の住宅地に行っても、人はまばら。

自動車メーカー、工場を解雇された人たちが、家を売り払ったり、放置したまま出て行ったのでしょう。ワンブロックに建っている家は数軒。それも3軒件に2軒は空き家という状況で、火事になった戸建てが取り壊されることなく放置されています。デトロイトの街は、まるで「大恐慌」時代の様相を呈している。

このトリガーを引いたのは、金融危機に耐えられなかったゼネラルモーターズ(GM)など自動車メーカーにほかなりません。GMをはじめとする各メーカーは、リーマン・ショック後に55%の雇用をカット。自動車関連産業の労働者が一人解雇されると、ハンバーガー屋、不動産屋、運送業など周辺産業で9人から10人が職を失いました。結果、最盛期に約200万人を誇った人口が今では80万人ほどに激減し、街はゴーストタウン化したのです。

残っているのは、この街を離れたくても離れられない老人と子供。それに家を売っても住宅ローンを返せないので仕方なく住んでいる人たちです。彼らはただでさえお金がない。その上、働き口が見つけられないため、貧困にあえいでいます。実情を数値で見るとよくわかります。同市の失業率は約23%。年収が200万円にも満たない貧困層の割合は約34%で、全米で最悪水準となっているのです。

最近では治安の悪化も深刻化し、殺人事件の発生率は東京の30倍〜40倍となっています。仕事にありつけない若者たちがギャングになり、ドラッグが蔓延した結果です。警察を呼んでも殺人事件でない限り、その日のうちに来てくれることはありません。栄えている産業と言えばストリップ、バー、そして薬物売買。

政府が貧困層の救済のために配布している100ドルのフードスタンプ(食品購入券)の多くは現金20ドルに還金され、コカインの購入代金に当てられています。アルコールや麻薬に侵された人々を救済しているデトロイト市内の教会の牧師は、私にこう言いました。「街がここまで荒れてしまうと、人間の復興から始めなければならない」そしてデトロイトを中心とする半径30Kメ−トル圏内は、ゴーストタウン化した街が8割ほど、安心して暮らせる住宅地が約5%しかない状況になっているんです。

そもそもデトロイトの自動車産業が最初に危機を迎えたのは70年代、トヨタ、日産など日本の自動車メーカーが格安で燃費のいい車を開発して米国に進出してきたときのことです。これに対抗するため米国側の経営者がやったことと言えば、関税の引き上げや日本バッシング。やたらと大きくてガソリンをがぶ飲みする「アメ車」の欠点を棚に上げ、力で抑え込もうとしたのです。

さらに80年代後半になると、メキシコの自動車産業の規制緩和が進み、第二の危機がやってくる。時給4ドルのメキシコ労働者が、時給18ドルの米国人労働者と同じ水準の車を作れるようになり、工場流出の懸念が高まったのです。しかしここでも労働組合は現実を直視することなく、経営側が出した12ドルという妥協案を無視して、時給18ドルを要求し続けた。ある会社の経営者は交渉を打ち切り。メキシコに工場を移転。この時、25.000人を解雇したそうです。

こんな惨状を目のあたりにしながら、デトロイト市はその場しのぎの景気対策を10年も20年も続けています。そのほとんどが「無駄な公共事業」。例えば、働き口がないから人口が減っているのに、新興住宅地を整備して、住民を呼び込もうとする。もちろん誰もそんな所に住みたくない。市が7万ドルかけて建てた家が3.000ドルでも買い手がつかないでいます。

さらにほとんど人が通らない歩道を整備し、清掃もさせている。これらをデトロイト市は「再開発計画」と呼んでいるのですが、どれも抜本的な再建策とはいえません。同士を再興しようと頑張っている米国人企業幹部もこう言っています。街のメンテナンスだけで年間3億ドルの赤字が出る。こんなカネの使い方をしても何も産まれないのだが」



『週刊現代』


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