加藤のメモ的日記
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2009年07月01日(水) 罪と罰

ドストエフスキーの小説の中では『カラマーゾフの兄弟』が最高傑作であるらしい。世界十大小説に入れるなならそっちだろうなと思っている。しかし読んでいないので人に勧めるわけにもいかず、ここでは『罪と罰』を取り上げることにした。この小説の基本のストーリーは、ペテルブルグに住む貧しい大学生のラスコリーニコフは、自分は選ばれた非凡人なのだ、と過信している。そして、自分は人類の幸福に貢献するのだから、道徳律の外にあってシラミのような婆さんを殺したって罪にははならないと考え、殺人の罪を犯す。映画では殺したあと『太陽のせいだ』とつぶやく。頭上には真夏の太陽があった。

ところが殺したとたんにものすごい良心の呵責に襲われて、罪の意識に苦しめられるのだ。その苦しみがありありと描かれる。根本のところはそれだけの話である。切れ者の予審判事ポルフィーリイはラスコリーニコフが犯人だと見抜いて、心理戦のような尋問をしてくるのだが、そのシーンの迫力は素晴らしい。

マルメラードフというアル中の退職官吏がいて、酒に溺れて人生の敗北者という感じである。酒場でマルメラードフと知り合ったラスコリーニコフは人生の敗残者を軽蔑するが、その娘のソーニャが家族を救うために自ら娼婦となっていると知り、大いに興味を持つ。つまり、自らの意思で悪のほうに踏み出している、という点で自分とソーニャは似ていると感じるわけなのだ。だが、ソーニャには信仰心があり、愛の力を信じているのであり、そこがラスコリーニコフとは違う。

スヴィドリガイロフという悪党がいて、ラスコリーニコフの妹に恋して執念深く 追い回す。兄の弱みを握れば妹は我が物になるだろうという考えからラスコリーニコフに接近してくるが、そいつの悪党振りが自分の醜い投影のように思えてラスコリーニコフはついに自首を決意する。スヴィドリガイロフの側からソーニャの側へ進むことで、ついにラスコリーニコフは魂の救済を手にする、という物語である。

そういう話を、ドストエフスキーはものすごく重厚に語り、どんな断片も省略しないで説明する。ラスコリーニコフの頭の中の考えが、圧倒されるほど緻密に描写され読んでいて頭がボーっとしてくるぐらいのものである。だが、ドストエフスキーの小説を読む楽しさは、その重厚さに振り回されることだと思う。ものすごくくどいけど、ワケがわからんというふうではないので、だんだんくどさが快感になってくるのだ。

この小説は悪とは何か、を問いかけるものだ。そういう思想的なテーマをドストエフスキーは重厚なドラマの中で語りきってしまうのだ。そこが偉大さである。この小説は、ラスコリーニコフが自首したところで終わりだと思っている人が多いが、実はエピローグがある。ラスコリーニコフは裁判にかけられ、シベリアの刑務所に送られる。するとソーニャはその後を追うのである。七年間服役すれば自由になれる。ソーニャがついていてくれるから、彼はきっと再生できるだろう、と予言があって物語は幕を閉じる。
これは魂の再生の物語だったのである。



『早わかり世界の文学』清水義範


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