加藤のメモ的日記
DiaryINDEXpastwill


2009年01月10日(土) 竜馬をめぐる女性たち-桂小五郎・西郷

●妻、お竜(おりょう)
お竜は竜馬の死後しばらくの間、寺小屋で竜馬とともに襲われて逃げ延びた、三吉慎蔵の世話になった。そのあと、高知の坂本家に入っている。その時お竜はは28才。色白の京美人で、渋い色の着物がよく似合った。近くの山を毎日駆け回っては、竜馬の持っていたピストルを撃つのが楽しみであった。

しかし、お竜はまもなく土佐を離れることになる。竜馬の姉、乙女との仲がうまくいかなかったせいといわれるが、他にも複雑な事情があったのだろう。京都に出たお竜は竜馬の墓の近くに住んだが長続きせず、寺田屋に戻って、古いなじみの西村松兵衛とであう。松兵衛とともに神奈川の横須賀に住んだお竜は、その地の裏長屋で66才の生涯を閉じた。

●恋人、千葉さな子
剣術修行で江戸に来た竜馬を知ったさな子は、生涯彼を慕いつづけた。死ぬまで独身で通し、明治維新後は女学校に勤めて、生徒たちに人気があったという。晩年はお灸による治療を仕事とした。墓は山梨県の甲府にあり、その裏には「坂本竜馬室(妻)」と刻まれている。

………

藩邸を訪ねると、桂小五郎が小松帯刀の屋敷にいるという。おや、まだいたのかと思った。西郷吉之助との話し合いが終わって、もう長州に帰っているはずである。小松の屋敷に行ってみると、桂は長州へ引き上げる支度をしているところだった。薩摩との和解も連合も、そんな話はまったくできなかったと聞いて、竜馬はあきれてしまった。

西郷は桂を笑顔で迎えたが、何も言わない。長州から話を切り出せば相手になろうという態度だった。「では桂さんから切り出せばよいではないか。」「私を呼び出したのは薩摩だ。それなのに何も知らぬ顔をしちょる。毎日、ご馳走してくれるばかりで、今日で12日になる。もう長州へ帰る。」

「なんちゅうことだ!」竜馬は絶望してそこへ立ちすくんだ。これまで必死でやってきたことが、音を立てて崩れてしまう思いだった。やがて、怒りがこみ上げてきた。生まれてはじめて竜馬は心のそこから激しい怒りを発し、怒鳴り散らした。「天下のために薩長を和解させ、連合させようとおまんら二人を合わせたのに、つまらん感情にこだわって、腹をわって話せんとは何事か!」

竜馬の右手はいつの間にか、刀の柄にかかっている。「坂本さん聞いてくれ。」桂は姿勢をただして向き直り、竜馬を見つめながら言った。「今苦しい立場にある長州が、西郷さんの前にお願いしますと両手をついて、薩摩藩を危険な戦いに引きずり込むことができようか。薩摩が自ら手を差し伸べてくれてこそ、長州藩は救いを求めもしよう。坂本さんは、それをつまらん感情だといわれるかもしれんが、長州にとっては、絶対に譲れないものごとの順序です。我々が天下に示す志とはそういうものなのだ。」

桂はかっと目を見開いている。剣をとった立会いのときの気迫に似ている。彼はさらに言った。「徳川幕府の攻撃を受け、このまま長州は滅びてもよい。あとは薩摩が幕府を倒してくれるなら、我々に恨みなどあろうはずもない。」ほとばしる桂の言葉を聞きながら、竜馬は感動していた。長州はそれほどまでに道理を通し覚悟を固めて、薩摩と対等に手を結ぼうとしているのだ。

「桂さん、わかったぜよ。」竜馬はそれからすぐ西郷のところに走った。「長州が平身低頭して哀願するのを待っちょるのが、薩摩隼人のやり方ですか。一言手を握ろうではないかと言ってやればよいのに。長州をい可哀相だと思わんのですか。」凄まじい勢いで竜馬は西郷に詰め寄った。なんとしても成功させねばならないと、必死だった。

「わかりもした。薩長連合のこと当方からの提案として、桂どんとじっくり話し合おう。」歴史を旋回させる薩長連合の会談が開かれたのはその翌日、1866年(慶応2年)1月21日のことである。

「幕府と長州との戦いが始まったら、薩摩は幕府に対抗できるだけの兵力を京都の近くに集め幕府を威嚇し、また八・一八政変以来、京都を追放されている長州を許すよう朝廷にも薩摩にも働きかける。そしてやがては武力で幕府を倒してしまおう。薩長互いに誠意を持って協力することを約束する。」という六か条の薩長軍事同盟の密約が成立したのは、その日の夕刻近いころだった。

竜馬の苦心はついに実ったのだ。中岡晋太郎や土方楠左衛門らも薩長連合のために努力したが、やはり竜馬がいなければ難しいことだったにちがいない。薩摩と長州という実力を持った二つの大藩が力をあわせることによって、それからの政局はにわかに前進した。一人の土佐浪人にすぎない坂本竜馬が、日本の歴史を揺り動かしたのである。


吉川 薫『坂本竜馬』


加藤  |MAIL