つれづれ日記
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| 2013年05月05日(日) |
ブラビーとピキ(別々)に給餌。ピキまた襲われる?!また風邪引いた。呉善花著「私は、いかにして日本信徒となったか」 |
8時間はたっぷり寝たはずなのに目覚ましが鳴っても起きにくい。だが、そんなはずはない、レム睡眠とノンレム睡眠の狭間に目覚ましで起こされたものだからスッキリしないのだ、と決め付けて起き上がる。
今日も五月晴れ。洗濯をたっぷりしてベランダ中に干す。 干している時にどうもまぶたの裏が熱い。これは熱があるな。熱には強いので滅多に計ったりしないがどうも変なので計ってみる。37,3度くらい。いつもはこれしきの熱では自覚症状はないのにどうも身体全体がだるい。節々が痛い。
昨夜、ベッドの中で咳が出て一瞬苦しかった。鼻の左側が詰まって左目の奥とその上の頭が痛い。典型的な風邪症状。
風邪?!いつどこで風邪ウィルス感染したのか?1日に図書館→リリス→フジスーパー→バスで帰宅。その間、マスクを外していたのはフジスーパー2階に居たとき。風邪ウィルスが舞っていたのか?私はすぐに風邪菌に感染するタチだが、これでは余りにも弱すぎる。4月にはしつこい風邪に悩まされ、その後は痛〜い腰痛だった。免疫力が低下しているのか。
風邪の引き始めには葛根湯。昼過ぎには突然胃のあたりが痛くなった。その裏の腰側も。う〜〜ん、救急車!と思いながら我慢すること10分。何とか痛みは引いた。昼食の意欲はなくなり寝ることにする。
息子が帰ってきたころ一度起きるがまた午後7時半まで寝ることに。
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7時半に起きて山手に給餌に行く支度をする。8時前に家を出る。ピキは近くにはいなかった。
小桃の餌場の上を歩いているといつの間にかピキが足元を一緒に歩いている。小桃の餌場へ行き、トレイに海缶を開けたがピキは全然食べない。家猫にも不人気で海缶が好きなのはブラビーだけのようだ。そこでレトルトとシーバを与えると食べ始めた。
山手へ行くと「東側猫庭園」からブラビーが駆けてきた。 ピキが一顧だにしなかった海缶のトレイをブラビーに。遊び食べしているところにU野さんがやって来た。ブラビーは私と一緒でないとU野さんが呼んでも来ないどころか去ってしまうそうだ。 私と一緒だとU野さんの足元でゴロンゴロンして盛んに甘えている。
帰りがけシーバを与えて後追いされないようにする。
小桃の餌場に行ってみるとレトルトもシーバも大分残っている。また違う猫に見つかってしまったのか?ピキは勿論もう今日は現れない。不憫なピキ!
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隙間時間にちょこちょこと読み進めていた、呉 善花著「私は、いかにして日本信徒となったか」を読み終えた。これは2003年6月に発行されたものを2011年6月に改定新版として発行されたもの。
「日本信徒」と言う割には強烈な反日だったのが翻ったほどの「日本の良さ」を列挙していないが、多分その前の「スカートの風」などで韓国から危険分子として入国を拒否されるなど韓国挙げての「呉善花つぶし」に遭い、ちょっと筆が鈍ったかな。今は帰化し自宅に茶室を設えるなどとても「日本人」している。
いづれにしても歴代韓国政府の、自らの無能・無策・不正を糊塗・転化するために反日を利用するというのはいかにも卑劣だ。
1975年のこと。友人のドイツ人が韓国から持ち帰った政府発行の英文観光パンフに日本への罵詈雑言が羅列してあるのには仰天した。下劣で卑怯である。そうして子供たちは反日を刷り込まれ、実際に「日帝」時代を知る日本に悪意のない大人たちもひたすら黙る。エリート?学生ほど「反日」でなければならないというのが「傑作」だ。
昔、日本でもエリート?学生ほど「反米」だった時代があった。その頃、美空ひばりが好きなどというのはエリート?学生の好みとしてあるまじき低俗さという風潮もあった。今も演歌は高尚ぶる人々から見下されている。ったく世界中どこもかしこも。「何様病」は原罪か?
呉女史も指摘しているが、中華思想の本家、中国の属国だった韓国は小中華思想(本家ですらない)が染み付いており、歴史的に(故なく)日本をひたすら見下しているというのだ。中華思想なら日本だけでなく自国以外すべての国を見下しそうなものだがそうではない。近親憎悪的な感情かなあ。アメリカ(美国)にはペコペコ。
呉女史の体験。台湾でも表向き学校では反日教育が行われているというが台湾人留学生は全然反日ではない。なぜかというと学校以外では正反対の親日が溢れているので全然ウソの反日教育に染まることはないのだという。
なるほど。1975年に台湾にひとりで行った時、余りの親日ぶりに面食らったほどだった。そして朝鮮半島も台湾も同じように植民地化していたのに、一方は反日になり一方は親日になった。どうして???
朝鮮半島を統治した日本人たちが極悪で台湾では極善だったなどとは考えられない。いづれも同じような占領政策を取ったはずだ。
台湾では戦後、大陸から下卑た者どもがどっと押し寄せてきて略奪・占領したが、日本統治時代が懐かしいと口々に言っていた。あの頃はまだ日本語を話す人がどこにでもいた。
特攻隊に選ばれなかったことを口惜しがっていた茶店のおじさんもいて腰を抜かした。「選ばれなくてよかったじゃない。行ってれば死んでたよ。」と言うと、おじさん『死んでもいい。お国のためだから。』これには心底仰天した。教育とは恐ろしい。
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