++るうの独り言++
目次へ前へ次へ


2004年10月31日(日) 生きること

天候を考えず入山計画書も出さず地元の先達の忠告も無視して
自分の技量と経験も考慮にいれず
服装も登山にはふさわしくなく
予備食などの準備も万全でなく、地図すらもたずもちろん遊びで
それでたとえば谷川岳に登った人がいて
遭難した、助けてくれとSOSが入って
家族からも「たすけてください」と要請がはいったとき

どんなに「ばかなことをしおって」と思ったって
救助はでるし、救助にかかる費用をその個人が負うこともない。
はやい話、ヘリコプターが何機でようが、たいへんな人数が動員されようがタダなんだ。

が、だからといって
その遭難者を発見できるか
命を確実に救えるか
その保障は絶対にない。

見つからなくて春になってやっと発見することもある
山の動物にさんざんに荒らされた遺体がでてくることもある

で。遭難者の命が救えなかったのは
捜索隊の技術不足か? プロ意識や熱意の欠如か?
そこに谷川岳があるせいか?
だれでも安全に登山できるように整備しない国のせいか?

死んでゆくものは本望だろう。
自分で納得もするだろう。

が。
死に行くものを見なければならないものの心の痛みを考えたことはあるのか。
自分の命が自分だけのものだと考える思い上がり。


今回の人質事件
人間の命や考えを暴力によって蹂躙するテロ殺人者にものすごい怒りを覚えるが
命を軽んじるという点では
両者あまり変わりがない、という点が非常にはらだたしいのだ。

両親を嘆かせ
友人や恩人を悩ませ
国民を動揺させ
貴重な時間やお金を浪費させ
ひいてはイスラムの人々に対する憎しみを増やし
日本という国の評価を落とし・・・・

もし24歳という若さがそれをさせるのだというのなら
大人は(特に親は)もっとしっかり子を導かねばならない
甘やかしている場合ではない
無視したり放任したりしている場合ではない

彼が命をなくした責任は、全日本国民にある。
他人に責任を擦り付けている場合ではない。>マスコミ&こめんてーたー




◆昔の今日の記事


目次へ前へ次へ