++るうの独り言++
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2004年02月11日(水) 勉強

Tくんママが子育ての合間をぬって大学に行き
ちゃっちゃっか英語の先生の免許をとり、4月から中学校で時間講師やるんだそうな。

Rちゃん爺は御年68にして、研修を受け来年シルバー海外協力員(?)になって現地日本人のヘルプスタッフやるんだそうな。

Jくん母は無事ヘルパー2級の資格をとった。仕事先が資格をとったJくん母を待っている。

周囲がこういう状態だとそろそろ私も例の『プロジェクトX病』にかかりそうなんだが
今回はかからない。
へっへっへ。<怪しい笑い

・・・このがんばってるみんなの姿をみて、「人生一生勉強よね。思い立ったが勉強時なのよ。勉強っていつでもできるのよ」とか思う人がいるだろう。生涯教育とか生涯学習なんて言葉が浮かぶ。

んが、実際を知る私は、ちょっと違う思いがある。
『勉強っていつでもできるわけじゃない。やっとかねばならない適齢期があるんじゃないかな。それがあってこその『生涯学習』なんじゃないかな』

Tくんママはすでに理科だったか数学だったかの教員免許をもっている。
「英語の先生に必要な物だけをとりなおしたのよ」

Rちゃん爺は退職まで海外と日本をしょっちゅう行き来してた会社員。今回の派遣先には5年ほど住んでたんだ。英語には不自由はしない。それどころかロシア語も「話せないが読める」んだそうな。

Jくん母は大学卒業後から今の会社で働いている。会社が新しい分野に進出しようとしたとき、どうしてもヘルパー2級以上の人員が必要になり、会社が費用をだしてJくん母に資格を取らせたのだ。Jくん母は会社にとってそういう大事な人材なのだ。

みんないままでしっかり勉強して来た素地の上にさらに磨きをかけた結果が今回のことなんだ。この成果を出すために0から(素地がないところから)今やれってたらさすがのみんなも途中でめげるはず。
若い時につみあげてきたものがあったればこその成果なのだ。

だから私は『趣味といっしょで“学習すること”は確かにいつでもできるけど、人のために役立つ道具としての勉強はいつでもはできない』って思うのだ。
いやなことでもわけわかんなくてもなにからなにまでしっかり勉強しておく時期ってものがあるような気がしてならないんだ。




◆昔の今日の記事
2002年02月11日(月) 2月11日


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