++るうの独り言++
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2001年10月09日(火) 存在意義

ひさびさに川田母を見る。
・・・以下個人攻撃の文章。

私もいつまでたってもいい母親になれないが、こやつもちょっとひどいぞ。
そしてこういう母親が「我々を代表する国会議員」なのかと思うとげんなりする、という話をする。

というのも
相変わらず、川田龍平という彼女の息子につく修飾語は
“薬害エイズ患者”
だけなのを知って唖然としたのだ。
息子は20をとっくに過ぎたはずだ。

たしかに
自分のせいではなく、他人に無理やり人生を捻じ曲げられ 将来や健康に不安を抱いてなくてはならないのは気の毒というしかない。
自分の子供がそうなったら、私は何もかも呪うだろう。泣きわめくだろう。

が、考え直せば
今生きとし生ける人間全てが、程度は違うにしても同じ苦しみをもっているのではないのか?
交通事故でおさない子をなくした(殺された)母はいうだろう。
「それでもあなたの息子は生きてるじゃない!」


2度と同じ自分の子のような子供を作らないために行動を起こすのは大事なことだ。だからカミングアウトさせたんだろう。
だが肝心なことを忘れている。
カミングアウトした「自分の息子だけ」が大変な困難にあっているのではないということを。
カミングアウトしたことじたいが凄いことではないとということを。
カミングアウトすることによって、カミングアウトできない日本国中の薬害患者の思いを背負うということを。
しかし自分の息子にはそれを背負えるだけの思いやりや能力やそういったものが(年齢的にも)備わってないということを。
さらにそういった重責を背負わせるためにいろいろな勉強もさせていないということを。

だからいつまでたっても
川田龍平という人間には「薬害エイズ」という修飾語しかつかないのだ。

もっとひどい言い方をすれば彼のアイデンテティーは「薬害エイズ」によって成り立っているともいえる。ということは、今彼から「エイズ」をとったら何もないんじゃないか? そうすると彼は「旧厚生省」や「安部某先生」に感謝せねばならんのではないか?

・・・自分の息子にこんなことを言われたら、わたしゃ屈辱で震えるね。冗談じゃないね。
だからこそ、例えば
エイズではあるけれど、現在、学校の教師であるとか、
同じような病気の人の介護士になるとか、
これこそなんなら厚生労働省に就職したっていいじゃん。中から改革を!ってたらすごいとおもうぞ。

そういうことをさせないで、いったいこれからどうするんだ?
こういった問題と戦う「運動家」にさせる?
・・・社会に生きるいろいろな人々のさまざまな心を実際に思いやれない人間が「運動家」になったって、机上の空論、説得力なんかぜんぜんない。
大昔の「学生運動」と同じレベルじゃないか。

エイズを「葵ご紋の印籠」にしてどうするんだ??
他人に自分の子を差別させてどうするんだ??

・・・彼女が出てきてなんか物を言うたびに、イライラしてならない。




◆昔の今日の記事


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