++るうの独り言++
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2001年10月03日(水) 言い過ぎ集

>署名だの、戦争反対だの、それはそれでたしかにそうなんだが、
>どーも今回はそれは論点がずれているような気がしてしょうがない。

先日、こんなことを書いたが
なんでそんな感想をもってしまうのか、自分の心を分析。

---わかった。

今回の運動が
「傷み、悲しみ、悔しさ」そういった人々の心への共感がないところではじまっているような気がしてならないせいだ。

「テロは悪いことだ。でも・・・」
「テロは許せない。しかし・・・」
でもってなにさ、しかしってなんだい。

ものすごい例えになるが、、、。
いま老人ホームで高い敷居にけっつまづいて、お年寄りが転び怪我をしたとする。
と、それを見たある人が
「老人ホームのような施設で、こんな敷居を作っているとはけしからん。ホームの設備に問題がある。施設整備を怠ったホームを訴えよう! 2度とこんなことが起きないように署名をあつめよう!」
と立ち上がったとする。
それは確かに御説ごもっともだ。とっても大事なことではある。
んが、けっつまずいた本人にとっては、そんなことよりまず
「すぐ抱きあげてよ。いたかったね、たいへんだったね、大丈夫?って言ってよ。怪我をしたところを消毒して包帯まいてよ。痛みが引くまでそばにいてよ」じゃないのか?
「訴訟なんて、そんなのけっつまずく前に、事件が起きる前にやってよっ! 事件が起きてからどたばた言い出すなんて、結局あんただって今まで気が付いてなかった、しらんぷりしてたってことなんじゃん!」と。

・・・痛みや悔しさや悲しさといった共感が出来ない人間達に、全人類の平和なんてはたして本当に考えられるんかね? *言い過ぎ*


それからもう一つ。
「アメリカはいままで散々ひどいことしてきたんだから、こういうことされてもしかたないんじゃないの?」
という(もしくはこれに類した)言葉。

私は、いついかなる時でもどんな非常時においても、
「人の命を他人が好き勝手にしてもいい」なんてことは絶対に許されない、と思っている。
しかも国家の責任を個人が負う必要も絶対にない。

さっきの発言をした人々は、実は「報復」を認めてるのだ。
報復はしてはいけないと言いつつ、その心は反対のことを願っているらしい。
「あの国はあんな“ひどいこと”したんだから、報復行為をされてもしかたないんじゃないの?」
「日本は戦争中ひどいことをしたんだから、原爆をおとされてもしかたないんじゃないの?」

歴史という流れの中では「悪」も「正義」もないのがわからないのか?
そう、悪だの正義だのにみえるのはたんなる「主観」である。

大事な問題である。じつに大きな問題である。
感情的な軽軽しい発言だけは慎もう。*言い過ぎ*




◆昔の今日の記事


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