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2005年06月13日(月)
「ロード・オブ・ザ・リング王の帰還SEE」は85点(長文)

『ロード・オブ・ザ・リング王の帰還スペシャル・エクステンデット・エディション』
『王の帰還』に至って初めて10分間の休憩時間がはいる。こんな経験は昔水島プラザ(今は無い)で『七人の侍』を観て以降である。

さすがに50分も未公開シーンがあると、初めて映画を観たように興奮する。評判のサルマンの最期の場面は興ざめであった。ローハンの王セオデンの返事は原作とは違い、好戦的になっていて、私の思いとは違っていた。やはり彼はホビット庄で殺されるべきであった。

特別版三部作を三週間続けてみて、見えてくるものは確かにあった。それはおもに四点である。

一点目。ギムリとレゴラスの友情の成立である。最初の場面はどちらも喧嘩腰であったが、『二つの塔』でライバルになり、黒門の戦いの前には『二つの民族を離れて友達として死ねるのなら本望』ということにまでなるのである。特別版はこの推移を実にこまやかに描いている。

二点目。アラゴルンの王としての成長物語であること。特別版では、彼の立場と能力、そして姫との恋物語が非常に丁寧に出てくる。その中で、彼が王位を欲しがっているわけではないこと、『世界』のために王に「なる」ことを決意する経緯が良く分かる。最終版、彼は見事に『王』になる。たとえば、幽霊軍団に「王の権威と寛大さ」を示すほうを優先した場面、未公開シーンにある黒門の戦いでの直前に示した彼の決断も、まさに「王としての最適の決断」であったろう。最後の戴冠式での白い花の舞う意味なんて感涙ものである。

三点目。一番の問題点であった、人間側の行動原理がいまいち不明確であったところがかなり分かりやすくなったこと。ボロミアは単なるゴンドール代表ではなかった。オスギリアスでの演説、父親への評価など(未公開シーン)をみると、聡明な人間だった。だからこそ、指輪の誘いの威力と、デネソール候のボロミアへの期待振りと落胆が推察できる。またデネソール候も『王の帰還』では新たなシーンの追加がいくつもあって、彼の不可解な行動の意味もまあ分かるようになった。要は彼はことの推移が見えすぎて『世界はどうせ変わらないのだから何をしても仕方ない』病にかかっただけなのである。別の言葉でいえば悲観主義という。しかし公開版ではそこまでは分からない。時間の問題もあっただろうが、何とかならなかったのか。

四点目。これが一番重要なのであるが、『指輪とはなにか』『灰色港とはなにか』について、私はやっと仮説らしきものをたてることが出来た。あらかじめ断っておくと、これはほかの可能性も充分あることも分かった上で「私好みの仮説」であるので、他の可能性があるといって批判してくださっても受け付けません。(根本的な間違いが在れば別ですが)
この物語は善が悪を滅ぼす物語ではないのである。だからこそ、フロドは最後で指輪を破壊するのを止めたのである。指輪とは何だろうか。私は例えば、こういう『別の物語』を考えてみる。

<パロディ「ロード・オブ・ザ・ペンダント」>
「近未来、地球は大きな岐路にたたされていた。地球温暖化によるオゾン層の破壊、核兵器テロはいよいよ先鋭化、人口爆発による食料問題は天変地異の続発により待ったなしのところまで来ていた。二つの陣営が対立していた。一方は、文明をそのまま残し、地球の拠点に都市ドームを造り、しかも、権力を集中化し、テロ問題、気候問題、食料問題を少数精鋭による人類の存続の方向で解決しようという勢力。ただ、その『力』を得るために、一人の権力者が必要であった。そしてその一人の権力者は全世界を一手に収める『力のシステム』を手中に収めた。地球規模で、電子を一点コントロールするシステムである。いったん創ってしまうとのシステムは電子の性質そのものを変えてしまうため、もはやどんな改変も効かない(あっ、突っ込みいれないで^^;)。ただ、過去において、このシステムを作動しようとして、パスワードソフトがあいて勢力の手に落ちてしまうという事件がおきた。幸いにもエージェントの活躍により、盗んだ男は殺されたのであるが、ソフトは行方知れずになる。実はそのソフトはペンダントの形をしていたため、一人の少女の手にわたり、10年にわたり見つけることが出来なかった。少女は美しい女性に変わっていた。権力者の相手側の勢力である、自然主義者、平和主義者、知識人たちの同盟組織「エルロンド」は失われたソフトを発見する。エルロンドの会議が開かれた。現在情勢がまず語られる。権力者は最近になり、再び勢力を盛り返していた。失われたソフトが再生できるかもしれないという噂が広まり、『生き残りのために』システム稼動を前に軍事、経済のあらゆる力が彼のもとに集中しようとしていた。システムの作動は時間の問題である。そうなるとこの壊れゆく地球は一部を除いて、反対勢力を全て抹殺する戦争を起こそうとしているため緑の無い荒廃の世界に変わっていくだろう。多くの人たちも死んでいくに違いない。あのシステムを、われわれの管理下に置き、民主的に運営し、権力者たちをいざというときに『脅す』手段として保存することは出来ないか。平和主義者のボロミアは提案する。知識人のガンダルフは『一点に集中した権力は必ず堕落することが歴史的に明らかになっている。ソフトの民主的管理など無理である。』と反対する。しかももう時間は無い。しかもあのシステムを管理しても、気候問題が解決する展望は無い。ひとつだけ展望が在るとすれば、あのシステムをコントロールするのではなくて、全面開放するやり方である。そうすれば、権力者の力は無力になる。オゾン層の破壊も、オゾンを生み出す電気装置が無くなるのだから、長い間には解決するだろう。もちろんそれはありとあらゆる文明機器が使えないことを意味していた。しかも、それを実現するためには相手の本部の中枢部にはいり、システムを稼動した上でそういう設定をしなくてはならない。もっとも難しい作戦であるし、秘密裡に行わなくてはならない。しかもシステム稼動まであと一週間という情報も聞こえていた。会議は沈黙した。そのときひとつの声が聞こえた。「私が行きます。」あの美しい女性であった。………ありとあらゆる陽動作戦が行われた。美しい女性であることが幸いしてか、彼女はシステム作動装置の前にくることが出来た。あとはシステムを作動した上で『全面解除』すればいい。彼女はぼろぼろになった自分の体を動かそうとして、ためらった。「私にそんなことをする権利があるというの?いまにも最新医療機器で一人の患者が助かろうとしているかもしれない。多くの失業者が溢れるだろう。それよりも普通の家庭の普通の団欒は明日からは無くなる。」彼女は最後の最後で「とりあえずコントロール責任者は私がなろう」と決心する。ところが、それを動かそうとした直前、彼女を案内して来た元システム作成助手ゴラム(作成者の教授はすでに死亡)は、そのシステムを壊そうとしているのだ勘違いして、システム自体の愛情から(つまりシステムおたくだったのでしょう)ソフトを奪おうとする。その時点でボタンのかけ間違いがはいる。システムは全面開放された。世界は救われたが、世界は原始時代に戻り、もはや戻ることはかなわない。地球の歴史は新しい時代にはいる。彼女はそれを行ってしまった責任感から、やがて静かに狂っていくのであった。」


つまりこれが私の解釈である。『灰色港』は『死』のイメージであるが、フロドの場合は、最も両方の勢力の魅力を知ってしまった者として狂っていったのだと見たほうがいいのだろう。

ひとつだけ、あの映画で守らなければいけないという決定的な『価値観』があったと思う。『友愛』である。レゴラスとギムリ、ガンダルフと旅の仲間たちアラゴルンとエルロンド、エオウェンとメリー、ピピンとメリー、旅の仲間とフドロたち、そして何といってもフロドとサム。あの火山口で、いったん落ちそうになったフドロが自分の意志でサムの手を握ったとき、指輪がそれで絶望したように溶岩の中に溶けていったのは決して偶然ではない。もし世界が原始時代に戻ったとしても、友愛だけは続いていくだろう。ここで気がつく。先に私が妄想したエピソードとは、実は「中つ国」前史だったのではないか。
長文失礼しました。
(05.04.30記入)