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| 2005年05月14日(土) ■ |
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| 96映画ノートから「トキワ荘の青春」 |
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間に7作ほど見ているが、現在あまり語るべきところもないので、省略。
96/5/4 シネマクレール 「トキワ荘の青春」 市川準監督 美術間野重雄 木本雅弘 大森嘉之 さとうこうじ 安部聡子 きたろう 阿部サダオ 古川新太
トキワ荘に抱いていたイメージをほとんど壊すことなく始まったことに驚いた。寺田ヒロオの部屋の一つ一つに「納得」する素晴らしいセットだった。「まんが道」(藤子不二夫)を読みふけった人間にとって、セットを見るだけでも価値がある。木村伊兵衛の写真が随所に使われているのも気に入った。 しばらく誰が我孫子で、誰が石森章太郎か、特定するのに時間がかかったし、台詞が聞き取りにくく、「失業保険もないしね」「デフォルメ」とかの言葉はあとで脚本を見て確認した。 30年代のアパートの雰囲気が良く出ていた。マンガの未来が、その中に溶けてゆっくり顕在化しつつあった。 好きなテーマをどんどん書かせていた「漫画少年」が倒産。「時代の流れに乗るんじゃない。分析するんだ。」という石森章太郎と、「子供に理想を見せないと」という寺田。寺田ヒロオも、森安直哉も、刺激の強いシーンがかけなくて雑誌掲載が難しくなっていく。「自分の傷を見せる」つげ義春はまた違う道を歩み、二度とトキワ荘には近づかない。しかし、寺田の絵の確かさは、今でも充分通用するし、森安のあの叙情性は今なら使える雑誌があるかもしれない。 寺田の言っていたことは必要十分ではなかったが、しかしマンガの本当の未来にとっては必要なことであった。それを捨ててきたマンガは今……。森安のマンガはどうなるのか……。
《現在の感想》 この作品のビデオは現在なかなか見つけることは出来ません。しかし私のとても好きな作品です。マンガの黎明期が実によく再現されている。トキワ荘は今は解体されて残ってはいない。しかし手塚治虫がトキワ荘の次に住んだ並木アパートはまだ東京に残っていて、数年前に訪ねたことがある。以下はそのときのレポートの一部である。
朝、高田馬場で降りて、『2時間ウオーク』のガイドの本の地域を歩くために、荒川線鬼子母神駅に向かう。東京というのは不思議な街である。角を一つ曲がるだけで、それまでの都会の街並みから下町に変わる。細い路地に植木鉢をたくさん並べた風景が見える。荒川線にそって歩くと目白地域に入る。ここは本当にマンションが多い。隣は学習院大学だ。歩いて五分でこうも風景が変わるのである。鬼子母神駅の周りはまた下町の風景に変わる。駅から少し歩いたところに『並木アパート』はあった。S29−32年にかけて手塚治虫が住んだところである。「トキワ荘」を石森章太郎らに明け渡し、ここで、鉄腕アトムや、ジャングル大帝、そして数々の月刊誌時代の名作が書かれた。トキワ荘が既に存在しないのに対して、ここは当時のままかどうかは分からないが、存在している。400年という樹齢のケヤキ並木がある通りに入ると、中華の店がすぐ右手にあり、その手前の筋を右に曲がった突き当たりがそのアパートだ。朝のうちなのでそっと中に入ると(おいおい)いまでも学生用の借家なのか、ポストはみんな苗字1文字の八人の部屋がある文化アパートであった。はいってすぐ右側に90年の手塚治虫展のポスターを額にいれて飾ってあった。なんだかものすごく嬉しかった。この本当に小さく典型的な路地の奥で、手塚は編集者に監視させられながら、それを抜け出して荒川線に乗り、大塚駅で乗り換え、近くの駅の映画館に通ったのだと思うと、すこし感無量。(以上引用終わり)
マンガ雑誌が現在ゲームやインターネット、携帯に押されて衰退しつつある。マンガはもう一回昔の初心を思い出すべきときではないだろうか。
森安直哉のマンガは決してうまいとはいえない。ただ彼は郷里岡山の城下町の出身で、今はすでにない下町風景を見事に映した作品を書いていて、私は小さな展覧会用に作った作品集をもっている。どこか忘れることの出来ない絵柄なのだ。10年前はまだ夢を捨てずに書いていたはずだ。今はいったいどうしているのだろう。
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