中島らもさんが亡くなられた。関西人だし、馴染みもある方も多いと思う。 なにより朝日新聞の「明るい人生相談室」で有名かな!? でも、記事を見ても彼が亡くなっちゃった事事態がなぜか実感が湧かない。 とても個性的でインパクトがあってヒョーヒョーとしてる感じだったけど、いまだにどっかで生きていて、「ばんわ〜」とかって言いながら「あっ!らもさんやん〜」って声をかけたくなる雰囲気をもっていらっしゃった。
しかし・・・52歳。私より一つ上。階段から落ちての突然の死。 なんか考えさせられる。明日があるって思うから・・・いろんなことを考えてしんどい事もあっても解決しようとか楽しい事を思い浮かべたり色んな心配事を思案したりするんだけど・・・なにも無くなるって事は本当になにも感じなくなる事なのだろうか?わからないけれど、少なくとも色んな先の楽しい事も知らないで・・・って言うか感じる事も出来なくなってしまうんだよね。確かに苦しい事からも開放されるだろうけれど・・・
生きてると見えない時もあるけれど、死を死って観点から見た時残ったものの想いとは別に死んでいくものの「想い」って言うのはどこへいくのだろう?? 途切れてしまうのか??残された人の心の中に・・・って言うけれど、それは残されたものの「想い」でしかないだろう。
母の事を姉の事を思い出して、キリは無いのかもしれないけれど、もう少し長く生きれてたらあんな事も出来たのにとかって死の前に思っていたのかもしれない。って言う考えが私の中に浮かんできた。 途絶えてしまう事は無念の思いを残すのだろうか?無念だっただろうなぁ〜って残されたものが想うだけなのだろうか? 答えは誰もわからないけれど、なにか何の気なしに生きてると申し訳ない気になったり、自分も先の楽しみを味わえなくなるのは嫌だ!!っていう妙な生への執着を凄く感じた。
生きてるんじゃない、生かされてるんだよ〜ってよく言うよね。 そうなのよね〜自分の力じゃない見えない力で生かされてるんだから・・・色々思っても仕方がないのかもしれない。 でも、色々思うのが凡人。これでいいのかな??
こんな人生相談をしたら・・・今頃らもさんも天国で笑ってるかな??
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