| 2010年10月08日(金) |
@ィフぁニーで朝食はとれない。 |
――引用――
この「ティファニーで朝食を」という作品は、映画版の方はラヴ・コメにシフトしていますが、原作の小説版の方は、ダメダメ家庭出身者ならではの、「いたいたしさ」が顕著に描かれているんですね。
映画版においてオードリー・ヘップバーンが演じたホリー・ゴライトリーの珍妙な行動は、ダメダメ家庭出身の人間がよくやっているもの。 そんな観点から、この「ティファニーで朝食を」という「小説」を考えて見ましょう。
さて、この「ティファニーで朝食を」は、ニューヨークを舞台にしています。若い小説家が語り手となって、ホリー・ゴライトリーの行動を語るわけ。と言っても、時系列的には、ちょっとヒネリがある。その若い小説家の回想という形でホリー・ゴライトリーの行動が語られるわけです。 ある種の、淡い恋心と、心痛む懐かしさ・・・そんな心情が入り混じった「回想」なんですね。
ホリー・ゴライトリーは、自分が本当にやりたいことについて考えることから逃避している。だからその場その場で突っ走ってしまう。そして、いつも余裕がない。そもそもホリー・ゴライトリーが自分の夢として語る「ティファニーで朝食を食べる。」ということだって実現の可能性はゼロでしょ?だって、ティファニーにはカフェテリアはないんだから、食事のしようがない。いくらお金があっても、ないものはないんだから、無理ですよ。
つまり、ホリー・ゴライトリーの夢も、いわば、「何とかして達成したい」という確たる目標ではなく、「こうなればいいなぁ・・・」とただ漠然と思っているだけ。別の言い方をすると、とにもかくにも自分の現実から逃避したいわけ。
ホリー・ゴライトリーは、常に逃避している。
1. 苗字の否定・・・ホリー・ゴライトリーのゴライトリーは結婚後の苗字です。彼女は弟と家出していたら14歳で獣医師に拾われて、そこで結婚して、相手方のゴライトリーの苗字を名乗ったわけ。しかし、そのゴライトリーさんの家からも逃げ出してニューヨークにやってきました。ゴライトリーさんの家では、虐待があったわけでもありませんし、むしろ大切にされていたのですが、それこそ、なんとなく逃げ出したわけ。しかし、苗字はゴライトリーのまま。ダメダメ家庭出身の人間は、自分の親から受け継いだものを否定したがる。その最たるものが、苗字というわけ。実際に、離婚した後でも、旧姓に戻らない女性って多いものなんですよ。
2. 名前へのぎこちなさ・・・親から受け継いだ苗字を否定するホリーですが、名前にもぎこちなさがある。飼っているネコの名前も決めようとしない。あるいは近隣の人間の名前を覚えようとしない。そのような名前へのぎこちなさって、ダメダメ家庭出身者がよくやること。そもそもダメダメ家庭では、親は子供の名前を呼ばない・・・だから、名前というものに対して、名前を呼ぶことに対して、違和感を持つことがあるわけ。
3. 目標がない・・・それこそ歌の文句のように、フワフワしているだけ。何かやり遂げたいというものがない。
4. 地道さがない・・・目標がないので、地道に努力するという発想がない。
5. 当事者意識がない・・・当事者意識がないので、何かうまく行かないことがちょっとでもあると、それを自分で改善しようとはせずに、プイっと逃げ出してしまう。
6. 常識がない・・・親から常識を受け継いでいないので、なんともまあ非常識。人への迷惑などには頓着しない。
7. 余裕がない・・・いざとなったら誰かが自分を守ってくれるという発想がなく、精神的に安心感がないので、何をやっても余裕がない。余裕がないから、ますます事件に巻き込まれやすい。
・・・まあ、そんな女性。 現実的に近くにいると、迷惑しそう。 しかし、この手の人間は、ある程度の距離を保つと、意外にも魅力的だったりするもの。 その余裕のなさも、いわば切実さや真剣さとも言えるわけだから、周囲の人間にしてみれば、それが魅力的に見えたりする。なんとかして守ってあげたいと思う時もある。しかし、当人は自分自身がわかっていないわけだから、一時的に守ることができても、またトラブルを起こしてしまう。
ホリー・ゴライトリーって、まさにそんな人。 だから、ホリー・ゴライトリーは記憶の中に生きる人なんですね。 小説版での「ティファニーで朝食を」が、語り手の「回想」という形になっているのはわけがある。 記憶の中では、実に魅力的。しかし、実際に顔を合わせて一緒に行動すると迷惑この上ない。
遠くにいて実際にやり取りがない人は、その人にいい評価をするけど、実際に近くでやり取りしている人は、あまりよく言わない・・・そんな類の人っていたりするでしょ? それこそ、田中真紀子さんなんて、そのパターンでしょ? あるいは、イギリスのダイアナさんだって、それに近いでしょ? あるいは、日本の歴史上の人物だと、源義経がその典型ですよね? 最近ではボクシングの亀田兄弟がそれに近いのかも?
その手の人って、まさにこのホリー・ゴライトリーのように、「こうじゃない!」と否定形ばかりで、地道さがなくて、余裕もないもの。この点は、以前に配信した「背伸び」のパターンに近い。自分の目の前の現実から目を背け、自分自身を否定して、やたら背伸びしたことをしたがる。だから、いつもうまくいかずに、常にトラブル状態。 しかし、余裕のなさが、「愛を求める」「安らぎを求める」表情につながるので、雰囲気的には魅力があったりする。しかし、会話の能力がないので、実際にやり取りすると、困惑することに。
記憶の中で魅力的な人は、残念ながら、現実のこの世界ではうまく生きられない。
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