| 2026年01月22日(木) |
山上徹也は令和の義士である |
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オレは考える。もしもオレが山上徹也のような宗教二世の境遇だったらどうなるのか。あのように自分の未来が奪い取られていたらどうなるのか。自分の兄弟が親のせいで不幸になっていたらいったいどうなっていたのかと。大学進学の機会や職業選択の自由が奪われていたらどうなったのかと。
山上徹也に無期懲役の判決を下した裁判官に欠けていた視点は、統一教会というのが絶対悪だという事実である。岸信介から安倍晋三に至る三代にわたって日本の政治の中枢に関与し、多くの議員を日本会議、勝共連合などの似非ネトウヨ組織に加入させ、多くの日本女性を韓国ニートやDV男への捧げ物として提供してきたとんでもないクソカルトが統一教会である。普通ならこんな反社組織はきちんと司直の手によって捜査され、日本での活動を止めていたはずなのに、自民党政権は保護し続けた上に信者を増やすための広告塔として動いていたのである。
その統一教会を山上徹也はぶっつぶしたいと思った。自分たち一家を不幸のどん底に陥れた統一教会に恨みを抱いた、彼は自分だけが逃げ出すことも可能だった。しかし、彼が目指したのは教団そのものの息の根を止めることだった。そうすれば同じ境遇の統一教会の二世達を救うことができる。しかし、彼の正義の行動にとって大きな妨げは、警察権力も司法もすべて統一教会に味方していたということである、その悪を告発するという尋常の手段では山上徹也の願いである「統一教会の壊滅」は果たせなかったのである。
山上徹也は韓鶴子を殺そうとした。教祖を殺せば統一教会に打撃を与えられることは確実である。もしもオレが彼の立場なら、教団の集会を教祖もろとも爆破して葬り去ることを考えただろう。そして自分もその中で爆死しただろう。自分の命を賭けてでも統一教会という絶対悪をこの世から消し去りたいと思ったことだろう。しかし山上徹也は「爆弾」という手段を選ばなかった。それは、韓鶴子を殺せたとしてもその時には大勢の信者を巻き込んでしまう。信者というのは彼と同じ被害者なのである。その被害者を自分のテロに巻き込むことを彼は望まなかったのである。
逃げて自分一人が幸福になることではなく、多くの人の幸福のために彼は自己犠牲を選んだのである。自分が殺人者となって教祖を葬り去ろうとした。もちろん「殺人」という行為がどんな罰を与えられるものであるのか。彼がわかっていないはずがない。もはやその時点で普通の人生を生きることは不可能である。彼が統一教会から逃げずに対決することを選んだからこそ、我々はこれまで報道されなかった統一教会の実態を知ることとなったのである。
しかしわざわざ韓国に行って警備厳重な韓鶴子を暗殺することはほぼ不可能であった。どうすれば教団に打撃を与えることができるのか。統一教会と自民党の深い関わりを知る山上徹也がそこで選んだ標的は安倍晋三であった。SPに守られた元総理を襲うこともまた容易ではない。奈良・西大寺での街頭演説だってまともに警備されていれば狙撃は不可能だっただろう。しかし、僥倖のようなチャンスが彼に与えられ、奇跡的にその至近距離からの狙撃は成功した。
オレは殺人という行為を擁護する気は無い。しかし、それ以外に世の中を変える方法がないという閉塞感の中にいればどうすればいいのか。安倍晋三や韓鶴子を暗殺するという方法以外の法的に正しい手段で統一教会の悪を告発できただろうか。否である。正義を実行するためには悪を行うしかないという究極のパラドックスの中で、山上徹也は手製の銃を完成させ、暗殺行為を完結させたのである。
政治学者の岩田温は山上徹也の起こした事件を評して「民主主義の敗北」と語った。それは大きな間違いである。民主主義が正しく機能していて三権分立が確立し、司法が正しく悪を裁いていれば統一教会のような絶対悪は存在し得なかった。稀代の嘘つきの安倍晋三によって民主主義は破壊され、彼に忖度して司法が全く機能しなかったから安倍晋三という巨悪を裁けなかったのである。「ケチって火焔瓶事件」は山本太郎によって国会で指摘されたが、普通ならヤクザに頼んで対立陣営の選挙運動を妨害した人間は二度と議員などできない。しかし安倍晋三は総理大臣となったのである。これは民主主義の敗北以外の何モノでもない。
安倍晋三は戦後最悪の総理大臣である。安倍晋三以前の総理大臣や政治家には少なくとも「恥」の概念があり、間違ったことをすれば非を認め、辞任するかなんらかの責任をとて辞めるのが普通だった。しかし安倍晋三以降は「嘘をついて開き直る」というのが政治家の行動規範となった。彼が壊したのは政治家の道徳規範そのものなのである。その結果として日本の政治はさらにモラルを失って大量の裏金議員の登場へとつながっていくのである。自民や維新の政治家が謝らないのはその系譜を受け継いでいる。維新の会もまた統一教会の流れを汲む政党の一つだから、政治家の行動規範は同じなのである。
山上徹也は令和の義士である。彼が刑期を終えて世間に出てくればおそらく世間は彼を温かく迎えることになるだろう。それは自民党にとってマイナスだ。だから裁判官は無期懲役という政治的な判断を下したのである。再犯可能性、そして本人の反省、被害者が一名であることなどを考えても今回下された無期懲役という判決は重すぎる。臆測だが、今回の裁判員の中にも統一協会関係者が混じっていたのかも知れない。日本の司法はここまで腐ってるのだと思うとオレは悲しくなる。
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