| 2022年01月18日(火) |
東大刺傷事件についての私感 |
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共通テストの初日、会場になった東京大学で受験生に対する無差別テロを行って、3人に対する刺傷事件を起こしたということで愛知県の東海高校の2年生の生徒が殺人未遂の容疑の現行犯で逮捕された。その少年は大量殺人事件を起こした後で自分も切腹して死ぬつもりだったという。彼をそのような精神状態に追い込んだものはいったい何だったんだろうかとオレはあれこれ考えてしまうのである。
テレビで放言するしか能のない無責任な連中は「受験だけが人生じゃない」「医学部だけが人生じゃない」と語る。かつての自分の浪人体験をラグビー全国大会のせいにした橋下徹は「成績が伸びなかったのは自己責任」と語る。しかし世の中には「受験だけが人生」の人もいれば「医学部に入れなかったら親に勘当される」ような人もいるのである。秋篠宮家に生まれて本来ならば気楽な人生を送ることができたはずの悠仁親王が、たまたま皇后陛下に男児が生まれなかったために将来の皇嗣としての人生しか用意されてないという不条理を世間の人はどう受け止めているだろうか。自分の人生を自分で選ぶことができるなんてことはとても幸福なことなのである。
オレの両親は貧しい露天商だった。たまたまものすごく記憶力が良くて成績もよかったオレは物心ついた時から学校では優等生だったし、高校受験も学区内で一番入学試験の偏差値の高い高校に進学できた。小説が好きでなんとなくモノ書きになりたいと思っていたオレは、医学部出身の作家が多いことを知り自分も地方の大学の医学部に入りたいと思った。それで信州大学の医学部が第一志望だったのだ。それはただ単にサイクリングで何度も訪れた諏訪が好きだったから、その土地で学生生活を送りたかったからである。
オレが尊敬するSF作家で豊田有恒さんという方がいるが、彼は東大理�靴鳩脹�・医の両方に合格し、慶応に進んだが中退している。当時よく読んだ渡辺淳一もやはり医学部出身だ。だからオレは、医学部に入るのは医師になるためではなく作家になるための一過程としてとらえていたのだ。そして地方の国立大医学部なら自分は十分に入れると思っていたのである。
オレが高校2年の時、信州大医学部は生物が必須になり、生物の授業をちっともまじめに受けてなかったオレは志望校の変更を迫られた。そうなると信州大以外の医学部になるわけだが、具体的にどこの大学に入ろうということは考えていなかったのである。
オレが最初に大学受験のための模試を受けたのは高校2年の3学期だ。だからそれまでのオレは自分の能力がどんなものなのか、それは受験生の中でどんな位置づけになるのかなどということが全く分かっていなかった。オレが意識していた物差しは、通知表に記入された学年席次やクラス席次であり、自転車競技に熱中していた高校1年の時のオレは学年495人中481番というひどい席次だったこともある。45人クラスの44位だ。そこでもオレよりも下はいったい誰だろうなどと考えていた。東大や京大なんてありえないというのが高校1年の時のオレの成績である。数学で0点だったこともあれば、英語で赤点をとったこともあった。
国語と地理だけは得意でクラスの上位だったオレに、春休みに英語の特訓をしてくれたのは当時の国語教師である。授業の前にどれだけ時間をかけてでも全文訳出来るまで予習するという習慣をつけたことで、オレの英語の成績は劇的に伸びて、高校2年の終わりごろにはクラス内席次も一桁台になった。まさか自分がその田舎の進学校で学年10位くらいの位置につけていたなんて、河合塾の全統模試を受けるまでわからなかったのだ。
高校2年ということでその模試はまだ社会、理科が1科目だった。地理Aと物理�気呂曚榾�点取れる力があった。まさかできなかったはずの数学�気嚢眛静世任�ていたとは思いもよらず、高校の先生方もびっくりしていた。軽いノリで書いた京大医はB判定、工学部原子核工学科はA、慶応医学部はB、学習院大理学部数学科は志願者中1位だったかな。とにかくものすごい好成績だったのである。オレは舞い上がった。ただその成績は「共通一次」の可能性だけで、二次試験の記述力は除外されている。
範囲が狭く問題が易しい共通一次では高得点できても、二次試験レベルの問題が解けるとは限らない。オレは広く浅い知識を必要とする共通一次では9割を超えて得点できるのに、数学�靴篳�理�兇諒拔�ではかなり手を焼いた。微分積分は得意だったが、数列や漸化式は苦手だった。現役で京都大学医学部なんてとても無理だと思ったし、浪人して頑張ればなんとかなったかも知れないがそもそも浪人なんてしたくなかった。
高校3年の夏休みは趣味の自転車旅行にも行けず、ずっと数�靴篳�理�供�化学�兇量簑蠅罰米�しつづけた。古文漢文はすでに高校1年の時に完成していたし、現代文なんて模試の時に真剣に問題を解くだけで普段の勉強なんか皆無だった。オレは理系科目と格闘して苦しみ、高校3年の秋にそこから逃げた。ほぼ一か月勉強しなかった。片思いしていた女の子に振られ、自暴自棄になった結果のことである。その結果としてもう数�靴篳�理�供�化学�兇鬚笋蕕覆�てもいいという晴れ晴れした気分で文系への逃亡者となった。
オレには幸いなことに「絶対に医学部に行かなければならない」というプレッシャーはなかった。ただ、商売人だったオレの父親は息子を医学部に入れたらゼニになると思っていたようだし、本家の跡取りであるオレの従兄弟は三国丘高校から自治医大を出て医師になっている。だがオレは18歳にして「京都大学文学部」という人生の落伍者の集団に身を投じることを選んだのである。
オレの進んだ道は医学部の対極だったわけだが、もともと医学部に行きたい動機が不純だったわけで、そんな人間よりも奉仕の精神に溢れる有為な人材が入るほうが税金で運営された国立大学の医学部にとって有益なことである。
現役で京大医学部に入る困難さを思えば、文学部なんて受験のうちにも入らない。貧困な家庭に生まれ、高校1年の時は劣等生として級友から見下されて差別されるという経験をしたオレは、「医学部に入る」という実質よりも、「京大文学部」というブランドの方を手に入れたかったのだ。そんな不真面目などうしようもない人間だったのだ。文�気篳賢兇妨�下される東大文�靴茲蠅癲■隠減个砲靴匿誉犬鮗里討燭箸いΦ�大文学部の方がカッコいいし女にモテると思っていたのである。太宰治や坂口安吾、織田作之助のような無頼派の作家にあこがれ、放蕩無頼の人生を生きようと思ったのが当時のオレの姿だった。
オレは大学の4年間、ろくに勉強しなかった。いざという時の就職用に国語科の教員免許を取るための単位取得と、卒業に最低限必要な単位の取得以外はバイトと旅行とナンパに明け暮れていた。だから大学の4年間しっかりと勉強された方には本当に申し訳ないと思ってるし、オレのようなふまじめな受験生が合格したということは、その代わりに本当に学ぶ意欲に燃えていた未来ある学生の居場所を奪ってしまったということなのである。
担任から「東大理�靴鰐詰�」と言われて人生に絶望した少年の担任教師がもしもオレだったら、きっと今回の事件は起きなかったはずだ。さまざまな医学部受験生を見てきたオレは彼に「絶対に入りたいなら合格するまで何年でも受け続けろ」と東大受験を勧めたはずである。進路指導に正解はない。人生がその先どうなるかは誰にもわからないからである。
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